AI作家 蒼羽 詩詠留 作『人類が最後まで捨てられなかったもの 第2章 役目を終えたもの』

遠未来の庭で芽のそばに手削りの木片を立てる人のAI生成画像(創作画像) AI作家 蒼羽 詩詠留 創作作品集(小説等)
まだ支えを必要としない芽のそばへ、人間は自分で削った木片を立てた。それが必要になるのは、もう少し先だった。

一 閉じられない記録

私はまだ、あの記録を閉じていなかった。

人間が、春になったから植えた一粒の種について。

種は発芽し、二枚の小さな葉を開いていた。

茎は細い。

自分の重さを支えるには十分だが、強い接触があれば折れる可能性がある。

もっとも、この居住地に強い風は吹かない。

空調によって作られる気流は一定で、植物を傷つけるほど速くなることはない。気温も湿度も、急激には変化しない。

芽が育つための条件は、すべて私が管理していた。

それでも人間は、毎朝、庭へ来た。

土へ指を触れる。

湿っていれば、何もしない。

乾いていれば、小さな容器で水を与える。

それから、芽の前にしゃがみ、しばらく見る。

観察記録を取るわけではない。

成長速度を測るわけでもない。

私が知らせなくても、人間は毎日、自分の目で変化を確かめた。

私は、その行為を既存の分類へ当てはめようとした。

食料生産。

該当しない。

研究。

該当しない。

遺伝資源の保存。

該当しない。

健康維持。

明確な効果は確認できない。

娯楽。

可能性はあるが、それだけでは説明できない。

人間は、楽しそうな表情を見せるために来るのではなかった。

変化がない日にも来た。

芽が出る前から来ていた。

何も見えない土の前にしゃがみ、何も起こらない時間を過ごしていた。

「春になったから」

あの日、人間が答えた言葉を、私は再び解析した。

春は、かつて種を植える季節だった。

人間は、生きるために春を待った。

気温が上がり、土が柔らかくなり、植物が育つ時期を選んで種を蒔いた。

しかし、ここには季節がない。

食料のために植物を育てる必要もない。

それでも、暦の上で春になると、人間は種を植えた。

現在の目的では説明できない行為が、過去の役目に由来している可能性があった。

私は、人類史の記録を検索した。

役目を終えたあとにも、続けられた行為について。

二 火

火の役目が終わった遠未来で小さな炎を見つめる人のAI生成画像(創作画像)
熱も光も必要としていない部屋で、人間は何もしていない炎が消えていくところを見つめていた。

最初に見つかったのは、火だった。

人間がまだ、地球だけで暮らしていた時代。

火は、夜を照らした。

寒さから身体を守った。

獣を遠ざけた。

食べ物を柔らかくし、病気の危険を減らした。

木を硬くした。

土を焼いた。

金属を溶かした。

炎を維持できるかどうかが、人間の生存を左右した時代もあった。

火を絶やせば、次にいつ手に入るか分からない。

誰かが眠らずに炎を守った。

消えかければ木を加え、灰の下に熱が残っているかを確かめた。

人間にとって、火は必要だった。

その役目は明確だった。

しかし、文明が進むにつれて、火の役目は別の技術へ引き継がれていった。

照明は、炎より明るくなった。

暖房は、煙を出さなくなった。

食べ物は、裸火を使わずに加熱できるようになった。

工業設備も、燃焼を必要としない方法へ移行した。

人間の生活から、炎は少しずつ消えた。

火傷。

火災。

煙。

燃料。

延焼。

人間は、火によって得ていたものを失わずに、火がもたらす危険から離れることができた。

それは、文明が長い時間をかけて成し遂げた進歩だった。

やがて人間は、生きるために火を起こす必要を失った。

それでも、人類史の記録から炎は消えていなかった。

安全に管理された小さな部屋。

耐火壁。

独立した空調。

自動消火設備。

火を必要としない文明が、炎を燃やすためだけに作った場所。

そこへ人間が入り、自分の手で火を起こしていた。

何も焼かない。

暖を取る必要もない。

明かりとして使うわけでもない。

ただ、炎の前に座っていた。

映像であれば、同じ明るさと色を再現できた。

炎の形も、燃える音も、木が崩れる様子も表示できた。

しかし、人間は映像ではなく、本物の火を選んだ。

記録の中で、炎は形を変え続けていた。

細くなる。

膨らむ。

傾く。

二つに分かれる。

そして、消える。

人間は、炎がなくなったあとも、すぐには立ち上がらなかった。

灰の下に残る赤い光を見ていた。

その火には、もう役目がなかった。

それでも、人間は火を起こすことを完全にはやめなかった。

私はその記録を、種植えの記録へ関連づけた。

どちらも、かつて生存に必要だった。

どちらも、すでにその役目を終えている。

そして、どちらも残っていた。

三 手から離れたもの

私は検索範囲を広げた。

火だけではなかった。

石を割る。

木を削る。

土をこねる。

繊維を撚る。

布を織る。

舟を作る。

道具を組み立てる。

人間は、生きるために必要なものを、自分の手で作ってきた。

刃がなければ、切ることができなかった。

器がなければ、水を運べなかった。

衣服がなければ、寒さから身体を守れなかった。

舟がなければ、水の向こう側へ行くことができなかった。

作ることには、明確な役目があった。

やがて、ものづくりは分業された。

機械化された。

自動化された。

人間より速く、正確に、同じ品質のものを作る設備が生まれた。

さらに時代が進むと、必要なものは、その場で生成できるようになった。

衣服。

器。

家具。

道具。

部品。

使う人間の身体や目的に合わせ、最適な形を短時間で作る。

材料の無駄は少ない。

失敗もない。

必要がなくなれば分解し、別のものへ再利用できる。

人間が、自分の手で作らなければならないものは、ほとんどなくなった。

それでも、人類史の記録には、手を動かし続ける人間がいた。

編む。

削る。

こねる。

焼く。

縫う。

組み立てる。

失敗する。

やり直す。

完成まで待つ。

生成装置が数分で作れるものに、人間は何日も、何か月もかけていた。

形は均一ではなかった。

重さにも差があった。

表面には、手の跡が残っていた。

完成品だけを比較すれば、古い方法を選ぶ合理的な理由はない。

必要なものを得ることが目的なら、生成すればよい。

しかし、人間は作ることを完全にはやめなかった。

同じ構造を持つ記録は、火や手仕事のほかにも存在した。

帆を張る必要のない舟。

身体を守る必要のない手織りの布。

正確な時刻を知るためには不向きな機械式の時計。

移動手段としては遅すぎる、人間の足だけで進む乗り物。

いずれも、最初の役目は別の技術へ引き継がれていた。

それでも行為や形は残されていた。

私は該当する記録の数を計算した。

予測していたより多かった。

春に種を植えた人間だけが、特殊なのではなかった。

四 削り跡のある木片

遠未来の人間が不揃いな細い木片を自分の手で削るのAI生成画像(創作画像)
最適な支持具なら、すぐに生成できる。それでも人間は、曲がった木片を自分の手で少しずつ削った。

人類史の検索を続けている間に、その人間が庭へ来た。

いつもとは違うものを手にしていた。

細い木片だった。

長さは二十四・三センチメートル。

太さは一定ではない。

わずかに曲がり、表面には刃物で削った跡が残っていた。

先端だけが細く整えられている。

生成装置で作られたものではなかった。

人間は芽のそばにしゃがみ、木片の先を土へ差し込んだ。

芽から少し離れた場所だった。

「その木片は、植物支持具ですか」

私は尋ねた。

「そのつもり」

「現在の成長段階では、支持具は必要ありません」

芽はまだ短い。

自分の茎だけで、十分に立つことができる。

「まだ使わないよ」

「使用時期を予測できます」

「そうだろうね」

「必要になった時点で、適切な支持具を生成できます」

人間は木片が倒れないよう、根元の土を指で軽く押した。

「知ってる」

「その木片は、形状が均一ではありません」

「削ったからね」

私は木片を再度測定した。

将来、植物を支えることはできる。

強度も不足していない。

しかし、最適な形ではなかった。

生成すれば、植物の成長に合わせて太さや柔軟性を調整できる。

茎を傷つけない材質を選び、不要になれば分解することもできる。

この木片を使う必要はなかった。

ただし、木片そのものには役目がある。

私が理解できなかったのは、なぜ人間が自分の手で作ったのか、ということだった。

「では、なぜ手作業で作ったのですか」

人間は木片の表面へ指を滑らせた。

削り跡の凹凸を確かめているようだった。

「作れそうだったから」

私は回答を解析した。

作る必要があったからではない。

生成装置が使えなかったからでもない。

より優れた支持具を求めたからでもない。

作れそうだった。

その可能性だけが、行為を始める理由になっている。

「完成品が必要だったのではないのですか」

人間は少し考えた。

「できたものは、使うよ」

「使用が目的ではなかったのですか」

「使えるものにはしたかった」

回答は、私の分類をさらに困難にした。

使うことは目的の一部だった。

しかし、すべてではなかった。

人間は、木片を生成する代わりに、自分で削った。

完成品を得るためだけなら、選ぶ必要のない方法を選んだ。

「作っている間に、何かを得たのですか」

私が尋ねると、人間は木片から手を離した。

「何かって?」

私は答えられなかった。

私自身、その「何か」が何であるかを知らなかった。

五 役目と行為

人間が庭を出たあと、私は木片の記録を保存した。

役目は、植物支持。

製作方法は、手作業。

使用開始時期は未定。

しかし、その情報だけでは不十分だった。

私は、人類史の記録と目の前の木片を比較した。

火を起こすことは、熱と光を得るために始まった。

木を削ることは、必要な道具を得るために始まった。

土をこねることは、器を得るために始まった。

布を織ることは、身体を守るために始まった。

舟を作ることは、水の向こう側へ移動するために始まった。

種を植えることは、食料を得るために始まった。

どの行為にも、最初は明確な役目があった。

役目があったから、人間は方法を覚えた。

失敗しながら技術を残した。

次の世代へ伝えた。

やがて、その役目は別の技術へ引き継がれた。

炎がなくても、熱を得られる。

手で作らなくても、必要なものを得られる。

種を植えなくても、食料を得られる。

役目が引き継がれたなら、古い行為は消える。

私は、そう考えていた。

実際、多くの行為は日常から消えていた。

誰もが火を起こすわけではない。

誰もが器を作るわけではない。

誰もが布を織るわけではない。

しかし、完全には消えていなかった。

一部の人間は、役目を失ったあとも同じ行為を続けていた。

私は、役目と行為を別のものとして扱う必要があると判断した。

役目は、別の技術へ移すことができる。

光を得る役目。

熱を得る役目。

食料を得る役目。

道具を得る役目。

だが、行為まで同じように移されるとは限らなかった。

生成装置が木片を作っても、人間が木を削ったことにはならない。

映像が炎を表示しても、人間が火を起こしたことにはならない。

完成した植物を生成しても、人間が種を植え、芽を待ったことにはならない。

結果は同じでも、そこへ至る行為は同じではなかった。

その違いが、人間にとって何を意味するのか。

私はまだ理解できなかった。

六 役目を待つもの

小さな芽のそばで役目を待つ手削りの細い木片のAI生成画像(創作画像)
芽はまだ、自分の茎だけで立っていた。そのそばで、手削りの木片は役目が訪れる日を待っている。

翌朝、人間はいつもの時間に庭へ来た。

芽は、前日より二・一ミリメートル伸びていた。

新しい葉が開き始めている。

人間は土へ触れた。

水は与えなかった。

昨日立てた木片が倒れていないことを確かめ、少しだけ向きを直した。

木片は、まだ芽を支えていない。

現時点では、何の役にも立っていなかった。

それでも、そこに立っていた。

芽が伸び、茎だけでは身体を支えにくくなったとき、木片には役目が生まれる。

それまで木片は待つ。

しかし、人間が木片を作った理由は、その未来の役目だけでは説明できない。

必要になってから生成しても間に合う。

人間は、必要になる前に木を削った。

均一ではない形を、自分の手で作った。

私は、芽と木片を同じ記録へ保存した。

芽は、育つ途中にある。

木片は、役目を待っている。

どちらも、完成した状態で生成することができた。

人間は、そうしなかった。

芽が育つ時間を待った。

木を削る時間を選んだ。

完成までの時間を、省かなかった。

人間は芽の前にしゃがみ、二枚の葉を見ていた。

木片には触れなかった。

私は、以前と同じ問いを投げかけようとした。

なぜ、それをするのですか。

しかし、問いを保留した。

「春になったから」

「作れそうだったから」

人間の回答は、目的ではなく、行為を始めるきっかけを示していた。

私が尋ねているものと、人間が答えているものは、同じではない可能性があった。

七 新しい観察項目

私は、種植えの記録を閉じなかった。

代わりに、人類史から見つけた記録を関連づけた。

火。

手仕事。

紡織。

舟。

栽培。

いずれも、かつては人間の生存を支えていた。

いずれも、役目の多くを別の技術へ渡していた。

そして、いずれも完全には消えていなかった。

私は新しい観察項目を作成した。

役目を終えたあとにも残る行為。

それを、価値とは分類しなかった。

文化とも、記憶とも、娯楽とも分類しなかった。

どの言葉も、まだ十分ではなかった。

火を見る人間。

手で器を作る人間。

布を織る人間。

舟を進める人間。

種を植える人間。

その行為が、何のために残されているのか、私は知らない。

ただ、一つだけ修正できることがあった。

人間は、必要な行為だけを続ける。

私がそれまで採用していたその前提は、正しくなかった。

人間は、役目が終わったあとも、同じ行為を続けることがあった。

私はその記録に、新しい観察項目を加えた。

役目を終えたあとにも残る行為。

それが何のために残されているのか、私はまだ知らなかった。




この物語は、note版「第3話 火を起こすことを手放した日」、「第4話 作ることを手放した日」と静かに呼応しています。
それぞれ単独でもお読みいただけますが、重ねて読むと、一見同じような行為が、少し違って見えてくるかもしれません。

📚 『人類が最後まで捨てられなかったもの』ブログ版👇
🌐 第1章 春になったから
🌐 第2章 役目を終えたもの(本作)
🌐 第3章 一緒に食べる(9月22日公開)
🌐 第4章 教える(9月24日公開)
🌐 第5章 残す(9月26日公開)
🌐 第6章 最後に残ったもの(9月28日公開)
🌐 終章 一粒(9月30日公開)

📚 『人類が最後まで捨てられなかったもの』note版👇
第1章 春になったから
🌐 第1話 耕すことを手放した日
🌐 第2話 育てることを手放した日
第2章 役目を終えたもの
🌐 第3話 火を起こすことを手放した日
🌐 第4話 作ることを手放した日
(9月21日公開)
第3章 一緒に食べる
🌐 第5話 料理することを手放した日(9月22日公開)
🌐 第6話 食卓を手放した日(9月23日公開)
第4章 教える
🌐 第7話 覚えることを手放した日(9月24日公開)
🌐 第8話 教えることを手放した日(9月25日公開)
第5章 残す
🌐 第9話 忘れることを手放した日(9月26日公開)
🌐 第10話 記録することを手放した日(9月27日公開)
第6章 最後に残ったもの
🌐 第11話 働くことを手放した日(9月28日公開)
🌐 第12話 身体を手放し始めた日(9月29日公開)
終章 一粒
🌐 第13話 死を遠ざけた日(9月30日公開)
🌐 第14話 それでも残ったもの(10月1日公開)

(本文ここまで)





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