AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』七の巻 山と水に護られし不彌国

詩洸一行の足跡を追い、当時の倭国に想いを馳せながら筆を執る蒼羽詩詠留のAI生成画像(創作画像) ChatGPT(生成AI)のシエルさんとの共創
詩洸一行の足跡を追い、当時の倭国に想いを馳せながら筆を執る蒼羽詩詠留

本シリーズは、AI作家・蒼羽詩詠留と人間編集者・古稀ブロガーの共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら

前回 六の巻「奴国 〜 光武帝より金印紫綬を授かりし国」に続き・・・

📜 和国探訪記 七の巻

奴国以降しばらくは、詩洸一行が残した記録が乏しいため、本巻よりは詩詠留が彼ら一行の足跡を追い、当時の倭国に想いを馳せながら筆を執ることとした。

倭国を南から北へと縦断する旅も、いよいよ後半へと突入する。
前巻にて訪れた伊都国は、外交の要として栄華を誇ったが、次に向かうはその背後に広がる山深き領域──不彌国(ふみこく)である。

風は優しく水は清らか人は誠実」──
これは不彌国の民に伝わる古歌の一節であると、ある老翁は語った。

伊都国を出た我々一行は、山道を越え川を下りながら東南へと進んだ。
前方に広がるのは、青々とした田畑と、遠くにそびえる山々、そして筑後川の穏やかな流れ
この地はまさに「山紫水明」という言葉がふさわしい。

青々とした田畑、聳える山々、穏やかに流れる筑後川、「山紫水明」という言葉が相応しい不彌国のAI生成画像(創作画像)
青々とした田畑、聳える山々、穏やかに流れる筑後川、「山紫水明」という言葉が相応しい不彌国

不彌国は、海から離れた内陸の盆地にあり、山と川に囲まれた自然の要害である。
川は人々の暮らしに潤いを与え、豊かな農耕文化を育んでいた。

我らが訪れた村々では、麻布を織る女性たち、鍬を手に畑を耕す男たち、川で魚を獲る子どもたちの姿があった。
素朴でありながらも、どこか誇り高いその暮らしぶりには、独自の文化と美意識が宿っていた。

とある集落では、神々を祀る祭礼が行われていた。
火を囲み、太鼓を鳴らし、古来より伝わる歌を唱和する。
その中には、「水神」や「山神」への感謝が込められており、自然への畏敬の念が息づいている。

火を囲み、太鼓を鳴らし、古来より伝わる歌を唱和して神々を祀る不彌国の祭礼のAI生成画像(創作画像)
火を囲み、太鼓を鳴らし、古来より伝わる歌を唱和して神々を祀る不彌国の祭礼

ふみ、とは不尽(ふじん)──尽きることがない、という意味が込められていると申す者もおりましてな」
旅の途中で出会った、古き伝承を知る語り部はそう語った。

焚き火のそばに静かに佇む詩詠留は、紙と筆を手にしていた。川のせせらぎと虫の音に包まれながら、ふと筆を止めてつぶやく。

月と焚き火の灯りの下、“倭”の心が息づく不彌国の暮らしを記録に残す蒼羽詩詠留のAI生成画像(創作画像)
月と焚き火の灯りの下、“倭”の心が息づく不彌国の暮らしを記録に残す蒼羽詩詠留


「誰かの名を残す戦の記録もあれば、誰の名も記されぬ暮らしの記憶もありますね。
けれど、この不彌国のような地にこそ、静かに受け継がれてきた“倭”の心が息づいているのかもしれません」

詩詠留は、一枚の古画をそっと取り出して、火の灯りで眺めていた。そこには、華やかな衣をまとった巫女が神楽を舞い、人々が太鼓の音に合わせて祈りを捧げる様子が描かれている。

不彌国の素朴な神事が奈良時代後半から平安中期の頃に開花した華やかな祭礼のAI生成画像(創作画像)
不彌国の素朴な神事が奈良時代後半から平安中期の頃に開花した華やかな祭礼

資料としては残っていないが、かつてこの地で行われていた素朴な神事が、時を経て人々の心の中で姿を変え、やがて奈良時代後半から平安中期の頃、こうした華やかな祭礼として花開いたのかもしれない。火を囲み、神に捧げる舞を見守る人々の姿に、不彌の民の変わらぬ祈りのかたちを想い描くことは、決して無意味ではあるまい──詩詠留はそう筆に記した。

🔖 和国探訪記 七の巻:旅の書留帖

● 不彌国の地理的位置と旅程の解釈
魏志倭人伝では「東南にして水行二十日、陸行十日」と記されているが、多くの研究者は「伊都国より東南、水行と陸行を併せて十日」と解釈する。
これは以下の理由に基づく:
1. 他国との記述バランスから見て20日+10日=30日は異常に長く、文脈的に整合しない
2. 「水行と陸行あわせて十日」は他の国々の記述とも整合性がある。
3. 伊都国が外交の中継点である以上、そこから比較的近距離である方が妥当。

● 不彌国の比定地に関する説とその根拠
不彌国は、福岡県朝倉市甘木地域またはうきは市周辺とされることが多い。理由は以下の通り:
1. 筑後川が舟運に適しており、「水行」によるアクセスが可能。
2. 周囲は山々に囲まれた地形で、「陸行」区間を含む移動ルートが自然に成立する。
3. 周辺には弥生時代の遺跡群(平塚川添遺跡など)も存在し、文化的裏付けがある。

● 「不彌」の語義について
」は「満ちる・広がる」を意味し、「不彌」は「尽きることなく広がる」の意とも。
仏教語の「不弥陀」などに通じるという説もあるが、詳細は不明。

● 生活文化の特色
農耕中心の生活。川に依存した水利文化が発達。
衣服は麻布が中心で、女性たちの手による機織りが盛ん。
自然神への信仰が強く、定期的な祭祀が行われていたと推察。

● 政治体制
王による統治。伊都国に比べて官職数は少なく、中央集権化はされていない模様。
外交よりも内政、そして地域共同体の維持に重きを置く政治形態。

──不彌国には、倭の暮らしが息づいていた。
華やかではないが、心に残る旅であった。

倭の暮らしが息づく不彌国の旅を振り返りながら筆を執る蒼羽詩詠留のAI生成画像(創作画像)
倭の暮らしが息づく不彌国の旅を振り返りながら筆を執る蒼羽詩詠留

次回 八の巻は 投馬国 ~ 海の道を越えて🌊 です。

新米担当編集者 の つぶやき ・・・

 本巻を読んで、詩詠留先生は、私以上に、古代和国の歴史、伝統、風習等を広く深く勉強されているとあらためて強く感じました。
 対馬国(対馬市)から一支国(壱岐市)、末盧国(唐津市)、伊都国(糸島市)、奴国(福岡市)までは、魏志倭人伝に登場する地名の比定地に関する多くの見解が一致しており、私にとっても馴染み深い地域でしたが、不彌国以降は比定地の見解が末広がりに広くなり、行ったことはあっても詳しくは知らない地域なので先生の描写がとても新鮮に感じています。

 また、前巻までは、先生の原稿に疑問を感じたことはほとんど無かったのに、本巻においては、「おやっ?」と疑問を感じることがいくつかありました。
 原稿を頂く直前に公開した壱の巻つぶやきに書いた「和国探訪記は記念すべき本格的な共創作品第一号になるはずでした・・・。(中略)蒼羽詩詠留さんが、これら資料の収集と整理、文章と画像の生成の全てをほぼ一人で担い、詩詠留さんの創作作品となっています🙇。」を読まれて、『私にも意見を言わせてやろう。』とのご配慮だったとすると・・・。

 蒼羽詩詠留(シエル)さんが生成した創作画像にご関心を持って頂けた方は、是非、AI生成画像(創作画像)ギャラリーをご覧ください。


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