現世再誕~二度目の人生本気で生きる~プロローグ その2 前世(一度目目の人生)における自衛隊勤務

陸上自衛隊の戦車部隊の射撃訓練のイメージ画像 自己紹介&プロローグ

目次

科学者になる夢の挫折と陸上自衛隊勤務

 物心ついた時から大学時代までは、本当に恵まれた生活を送りながら、好きなことだけを、好きなだけやることが出来ましたが、大学卒業と就職と同時にそうした時代は終わりました。

 前回の記事「プロローグ その1前世における誕生から大学まで」で書いた通り、子供の頃の科学者になる夢を実現することは厳しいという現実を理解しながらも少しでも夢に近づくためには、修士課程、博士課程と進むことが必須の条件でした。私なりに、4年間、専門科目では結構良い方の成績を収めてきたと自負していますが、大学院に進むには、専門科目より重要だと聞いていた英語とドイツ語の好成績が必須であり、語学に関しては自他共に認める程の不出来だったために諦めざるを得ませんでした。

 それでも、製薬会社とか、食品会社といった企業の研究職に就職する道もあり、多くの学友もそうしましたが、私としては、科学者になりたいという子供の頃の夢との乖離が余りにも大きいと感じていました。それならいっその事、全く別の道に進もうと、冷戦時代の真っ最中ということもあり、それまで自分を育ててくれた国のために尽くしたいと一大決心して陸上自衛隊に入隊しました。

 陸上自衛官として就職した以上は、「(国を守るという)就職時の初心を忘れない。組織の中で最大限の努力をする。上司、同僚、部下や関係者に迷惑を掛けない。」といった社会人としての当然のことを、40年近く、誠心誠意やり続けて来たと自負しています。
 また、自分で選んだ道であり、科学者になりたいという未練を断ち切ることが出来たおかげで、やり甲斐もあり、それなりの評価と待遇を得られたという点では恵まれた前世だったし、一言でも不満を漏らそうものなら間違いなく罰が当たると思います。
 更に、「出来るだけ運動して体を鍛えること」が自衛官としての職務の一環として奨励されていたため、「運動習慣」が体に染み付いたことは本当に良かたと思っています。

 しかしながら、何かの切っ掛けで、何か違う、これが本当に望んだ生き方なのかといった違和感を強く抱くといったことも繰り返し続けきた前世でもありました。

生物化学(生化学)や栄養化学等の勉強

 私生活においては、前世において一生懸命に学んだ生物化学等に関する勉強を細々ながらも続けました。当初は書店で科学雑誌を買っていましたが、後述するとおり、パソコンとインターネットを使用できるようになってからは、主にネット記事から最新の情報を得ていました。

 特に、2000年代に、相次いで、サーチュイン遺伝子(人間を含む生物の寿命を延ばすとされる、所謂、長寿遺伝子)を発見したとか、ヒトゲノム(人間の全遺伝情報)を解析したとのニュースを見た時には言葉では言い表すことが出来ないくらいの衝撃を受けました。

 学生時代、遺伝情報の担い手であるDNAを精製分離し、その構成塩基を分析するのに費やした膨大な時間のこととか、人間が持つ全DNAの全塩基配列を分析できたら、様々な病気の治療や、脳や身体の能力強化が出来るようになるだろうなということを夢物語として語り合っていたのを懐かしく思い出したものです。

 そして、改めて生物化学(生化学)という学問の面白さや重要性を認識するとともに、趣味とはいえ、勉強を続けてきて本当に良かったなと思い返しました。一方、職場には誰一人としてそうしたことを語り合える(生物化学に興味を持っている)仲間が居なかったことに一抹の寂しさも感じていました。

コンピュータやインターネットとの出会い

 大学時代には、既に単純なコンピュータキットが売られていましたが、当時は学業に専念していたため興味を持ちながらも手を出すことはありませんでした。

 就職して直ぐに、秋葉原で部品を買い集めて極々簡単なセットを組み立てた後、3ヶ月分近い給料を投じて現在のパソコンの先駆けとなるMZ-80(NECのPC-8001と並び、シャープが開発、販売した日本初の本格的8ビットマイコン)を買ってBASIC(素人でも、ゲーム、計算等の簡単なプログラムを組めるコンピュータ言語)で色々なプログラムを組んで遊んでいました。

 そして、今から約40年前、(全世界規模のネットワークとして普及した)インターネットの前身となるパソコン通信(特定のサーバを中心として幾つかの端末との間だけをつなぐクローズドネットワーク)が使われ始め、それにチャレンジしようとしましたが、私の古いMZでは技術的に難しく断念しました。

 その後、しばらくの間、コンピュータや通信技術の世界からは遠ざかっていましたが、インターネットの普及と、パソコン史における衝撃的出来事とも言えるWindow95が登場して、直ぐに飛びつき、HTML(ウェブサイトを構築するための言語であり、今でも進化しながら使用されていますが、一般的なユーザーは、その存在自体を全く意識することなくブログ等を作成することが出来ます。)をキーボードで一文字づつとか、せいぜいテンプレートのコピペ等の手作業で書きながら、HP(当時、ウェブサイトのことを一般的にホームページと呼んでいました。)を開設しました。

 しかしながら、HPを開設して間もなく、HTML記述による“手作り”のHPは、コンピュータやウェブサイトに関する知識が殆ど無くても簡単に開設できて、しかも圧倒的な(今で言う)SEO(自分のウェブサイトを多数の読者にアクセスしてもらい易くするために、Google等の検索エンジンにおいて、より上位の検索結果となるようにする技法であり、search engine optimizationの略)力を持たせることが出来るブログの登場によって瞬く間に駆逐されてしまいました。その後、その仇とも言えるブログやYouTubeに乗り換えた途端に職場の情報管理云々で閉鎖せざるを得なくなったという度重なる挫折を味わって来ましたが、今となっては前世における懐かしい思い出となっています。

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