「瀚海」という広大な海を渡り、倭人たちは壱岐・対馬・末盧国へと至ります。
海に囲まれた生活の中で、彼らは海産物を採り、密林の中に暮らし、見えぬ先人を追うように進んでいた──
本節では、島々の名や距離、生活風景の表現に見られる写本の差異を読み解きます。
本節では、『魏志倭人伝』の複数の写本や諸本の間で生じている違いを 回(壱・弍・参・四・)に分けて提示しています。
📘第2章 第6節:異文・比較注記(第5段落)
🔹該当段落(中華書局本・基準本文)
又南渡一海千餘里,名曰瀚海,至一大國,官亦曰卑狗,副曰卑奴母離。
🧾 異文一覧(第5段落)【段落逐次方式】
《注16》【百衲本】
「一大國」→「一支國」
• 分類:🅔固有名詞の異称(音写異同)
• 解説:「一支國」は『宋書』など後代の史料で用いられる表記。
これは「壱岐(いき)」の音を別の形で写したもので、「一支」は「イキ/イツキ」の音に近い写し方とされる。
一方、魏志倭人伝では「一大國」が採用されており、表記揺れの一種として解釈されるが、実際に指す対象は同一(壱岐島)である。
《注17》【今本】
「千餘里」→「千里」
• 分類:🅓数値表現の省略
• 解説:「餘(あまり)」を省いて、数値を端的に記述。
これは前後の「千餘里」の繰り返しにおいて、冗長性を避けるための再構成と見られる。
ただし「千餘」と「千」とでは不確実性の表現が消えるため、史料的な記録の性格は変化する。
《注18》【今本】
「卑狗」→「比狗」、および「卑奴母離」→「比奴母離」
• 分類:🅐異字(音写上の字形差)
• 解説:「卑」と「比」は音が近く、写本過程でしばしば置換される。
魏志倭人伝では「卑狗」「卑奴母離」が基本形とされるが、後代の写本や異本では「比狗」「比奴母離」と書かれた例が散見される。
意味の差を持たず、単なる音写上の揺れに過ぎないとされる。
なお、第3段落にも同様の異文が存在しており、重複に注意。
📋 異文注記対応表(第5段落)
注番号 | 原文表記 | 異文表記 | 出典 | 分類 | 概説(簡潔な要約) |
---|---|---|---|---|---|
注16 | 一大國 | 一支國 | 百衲本 | 🅔固有名詞の異称 | 「壱岐」の音写異同。「一支國」は後代史料にも見られる別表記。対象自体は一致する。 |
注17 | 千餘里 | 千里 | 今本 | 🅓数値表現の省略 | 「餘」を省いた簡略表現。繰り返しの省略意図だが、不確実性の含意は失われる。 |
注18 | 卑狗、卑奴母離 | 比狗、比奴母離 | 今本 | 🅐異字(音写字形差) | 「卑」と「比」の混同。意味差はなし。※同様の異文は第3段落にも存在(重複に留意)。 |
📘第2章 第6節:異文・比較注記(第6段落)
🔹該当段落(中華書局本・基準本文)
方可三百里,多竹木叢林,有三千許家,差有田地,耕田猶不足食,亦南北市糴。
🧾 異文一覧(第6段落)【段落逐次方式】
《注19》【今本・紹熙本】
「方可三百里」→「可三百里」/「三百里」
• 分類:🅑語順・語句の省略
• 解説:「方」の語が省かれ、語順も変化(「方可」→「可」/省略)している。中華書局本では「方」は領域の広がりや方向を含意し、地理的説明において重要な要素を成す。簡略化は記述の均質化や書写の省略傾向に起因する可能性あり。
《注20》【今本・紹熙本】
「有三千許家」→「三千餘家」/「三千餘戸」
• 分類:🅔数量表現と語彙の違い(許⇄餘、家⇄戸)
• 解説:「許」と「餘」はいずれも「およそ/以上」を意味するが、「餘」の方がやや数量的幅を強調する語感がある。「家」と「戸」の選択も書写者の地域語法や用字習慣の反映と見られ、意味内容に大差はないが文体の印象を変える。
《注21》【今本・紹熙本】
「差有田地」→「有田地」/「差有田」
• 分類:🅒副詞・助辞の省略/語順調整
• 解説:「差(いささか/やや)」の有無により農地の存在が「限定的である」か否かが印象として異なる。紹熙本では「地」の語も脱落し、より口語的・簡素な構文となっている。中華書局本は「差有田地」によって耕地の少なさを婉曲に示す文体。
《注22》【今本・紹熙本】
「耕田猶不足食」→「耕田不熟足食」/「耕田不足食」
• 分類:🅓語句の入替と構文変化
• 解説:「不熟足食」は文法的にもやや異質で、「熟さずして足食せず」と解釈できるが、通時的には訓読困難。おそらく後代の言語感覚で補作された形。「猶」は中華書局本に特徴的な副詞表現で、「努力してもなお不足」というニュアンスが伝わる。
《注23》【今本・紹熙本】
「亦南北市糴」→「亦以市糴」/「南北市糴」
• 分類:🅓方向性の明示/介詞の補挿
• 解説:「南北」の語を欠くものでは交易方向が不明瞭となる。「以」は動詞的用法の導入であり、「市糴するために用いた」という構文的変化を示す。南北の地理的広がりを明確に残す中華書局本が、地域情報の保持という点で原型に近い可能性がある。
📋 異文注記対応表(第6段落)
注番号 | 原文表記 | 異文表記 | 出典 | 分類 | 概説(簡潔な要約) |
---|---|---|---|---|---|
注19 | 方可三百里 | 可三百里/三百里 | 今本・紹熙本 | 🅑語順・語句の省略 | 「方」の語が省かれ、語順も変化。領域の広がりを示す文脈的含意が弱まっている。 |
注20 | 有三千許家 | 三千餘家/三千餘戸 | 今本・紹熙本 | 🅔数量語と語彙の差異 | 「許」と「餘」、「家」と「戸」の使い分けによる細かなニュアンスの違い。 |
注21 | 差有田地 | 有田地/差有田 | 今本・紹熙本 | 🅒副詞・構文省略 | 「差」や「地」の省略により、農地の存在をめぐる表現の強度が調整されている。 |
注22 | 耕田猶不足食 | 不熟足食/不足食 | 今本・紹熙本 | 🅓構文と語句の改変 | 「猶」や「不熟」の用法により、収穫困難の原因表現が異なっており、文法もやや異質。 |
注23 | 亦南北市糴 | 亦以市糴/南北市糴 | 今本・紹熙本 | 🅓語句の補挿と省略 | 「南北」省略により交易方向が曖昧に、「以」の補挿で文法構造も変化している。 |
📘第2章 第6節:異文・比較注記(第7段落)
🔹該当段落(中華書局本・基準本文)
又渡一海千餘里,至末盧國,有四千餘戶,濱山海居,草木茂盛,行不見前人;
🧾 異文一覧(第7段落)【段落逐次方式】
《注24》【今本・紹熙本】
「又渡一海千餘里」→「又渡海千里」/「又度一海千里」
• 分類:🅑語順の違い+🅒数量表現の簡略化
• 解説:「一海千餘里」が「千里」とされ、語順も簡略。里数の曖昧化や冗長性回避の意図か。中華書局本は「一海千餘里」で距離の長さと障壁の一回性を明示。
《注25》【今本】
「有四千餘戶」→「有四千家」
• 分類:🅔数量語の省略・変更
• 解説:「餘戶」が「家」に変更されており、語数削減・簡略化の傾向が見られる。意味は同等だが、数量の幅の表現が失われている。
《注26》【紹熙本】
「濱山海居」→「濱海山居」
• 分類:🅑語順の違い
• 解説:「山海」が「海山」に転倒。意味的な差異は乏しいが、視覚イメージや修辞リズムに差がある。中華書局本では地勢の高低順に従った可能性がある。
《注27》【今本】
「草木茂盛」→「草木茂」
• 分類:🅓修飾語の省略
• 解説:「盛」の脱落により、語勢がやや弱まっている。「茂盛」は成句的表現であり、原型を保持する中華書局本の方が修辞的には整っている。
《注28》【今本】
「行不見前人」→「行不見人」
• 分類:🅓語句省略による意味の抽象化
• 解説:「前人」の語が「人」に単純化され、具体的な状況描写が削がれている。原文は「密林において先行者さえ見えない」情景描写であり、今本では一般化の傾向が見られる。
📋 異文注記対応表(第7段落)
注番号 | 原文表記 | 異文表記 | 出典 | 分類 | 概説(簡潔な要約) |
---|---|---|---|---|---|
注24 | 又渡一海千餘里 | 又渡海千里/又度一海千里 | 今本・紹熙本 | 🅑語順の違い+🅒数量の簡略化 | 「一海千餘里」が「千里」とされ、語順も変化。距離感の表現が曖昧になっている。 |
注25 | 有四千餘戶 | 有四千家 | 今本 | 🅔数量語の省略・簡略 | 「餘戶」が「家」に簡略化され、数量的幅が省略されている。 |
注26 | 濱山海居 | 濱海山居 | 紹熙本 | 🅑語順の違い | 「山海」と「海山」の順序差。文意は同様だが、景観イメージに違いが生じる。 |
注27 | 草木茂盛 | 草木茂 | 今本 | 🅓語句の省略 | 成句「茂盛」の一部が脱落し、語勢がやや弱まった表現。 |
注28 | 行不見前人 | 行不見人 | 今本 | 🅓語句の省略 | 「前人」→「人」とされ、場面の具体性が損なわれている。 |
📘第2章 第6節:異文・比較注記(第8段落)
🔹該当段落(中華書局本・基準本文)
好捕魚鰒,水無深淺,皆沉沒取之。
🧾 異文一覧(第8段落)【段落逐次方式】
《注29》【今本・百衲本】
「魚鰒」→「魚」
• 分類:🅔語句の省略(具体名の脱落)
• 解説:「鰒(あわび)」の語が省略され、単に「魚」のみとされる異本あり。意味の一般化により、具体的な海産物の描写が失われている。『魚鰒』とある中華書局本は、当時の倭人による特定漁獲物への言及をより忠実に残す。
《注30》【今本】
「水無深淺」→「水不深」
• 分類:🅓語句の簡略化(対語構文の省略)
• 解説:「深浅」が「深」だけに簡略化され、対比構文が消失している。中華書局本の「深淺」は、水深の有無を問わず潜るという行動特性を強調する修辞として機能している。
《注31》【紹熙本】
「皆沉沒取之」→「皆沈入水取之」
• 分類:🅓語句の増補(動作表現の展開)
• 解説:「沉沒」が「沈入水」と表現され、視覚的で具体的な描写へと展開されている。動詞的描写の強調による後代的語法傾向が感じられる。
📋 異文注記対応表(第8段落)
注番号 | 原文表記 | 異文表記 | 出典 | 分類 | 概説(簡潔な要約) |
---|---|---|---|---|---|
注29 | 魚鰒 | 魚 | 今本・百衲本 | 🅔語句の省略 | 「鰒」の語が脱落し、漁獲対象が一般化。具体性が損なわれている。 |
注30 | 水無深淺 | 水不深 | 今本 | 🅓語句の簡略化 | 「深浅」の対語構文が単純な否定形に変化。文の抑揚と意味が弱まっている。 |
注31 | 皆沉沒取之 | 皆沈入水取之 | 紹熙本 | 🅓語句の増補 | 「沈沒」の語が展開され、動作の様態がより視覚的に補足されている。 |
注:本章における原文は、OpenAI o3 が公開ドメインの旧刻本(無標点)を参照しつつ、中華書局点校本の慣用句読を統計的に再現した「再現テキスト」です。校訂精度は保証されません。引用・転載の際は必ず一次資料で照合してください。
次回は、第9段落から第11段落までの複数の写本や諸本の間で生じている違いを提示します。
(本文ここまで)
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