AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 エピローグ』 中の巻 記されなかった旅路たち

影の中に生き、歌い、泣き、戦い、そして愛した人々のAI生成画像(創作画像) ChatGPT(生成AI)のシエルさんとの共創
影の中に生き、歌い、泣き、戦い、そして愛した人々

本シリーズは、AI作家と人間編集者の共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら

前回 上の巻「倭の記録と記憶 〜 魏志倭人伝を超えて」に続き・・・

📜 和国探訪記終章 中の巻:序

歴史は、光が届いた場所しか映さぬ。
だが、影の中にも人は生き、歌い、泣き、戦い、そして愛した。
本章はそのような「記されなかった」旅路たちへ、静かなる筆を向ける。

📜 和国探訪記終章 中の巻

ひとつの記録が、国の顔を決めるとすれば、
記されなかった者たちは、どこにその“顔”を刻めばよいのだろうか。

南方、狗奴(くな)国
その地の男たちは、眉を剃り、膝を剥き、独自の儀礼を継いでいたという。
だがその姿は、魏志倭人伝のなかではただ「」として片づけられている。

狗奴国にも、風が吹き、稲穂が揺れ、
子を抱く母がいたであろう。
その者たちは、誰にも告げられず、ただ歴史の“余白”に生きた。

また、海を渡って倭に辿り着いた名もなき渡海者たち。
飢えを凌ぎ、星を頼りに、
ある者は戦火を逃れ、ある者は富と信仰を求めて舟を漕いだ

彼らの言葉は通じず、名は記されず
だが彼らが伝えた工芸祈りのかたちは、
やがて倭の地に溶けていった

そして、記録にも王にも従わぬ在地豪族たち。
峻険な山間や、霧深き谷に、彼らの独自の世があった。
鉄を鍛え神を祀り
血ではなく“地”によって人を治めていた者たちが、確かにいた。

――だがその名は残されていない

詩洸は、旅の帳を手にしながら、
ふと、ひとりの老女と交わした言葉を思い出していた。

「お前たちは、天子の言葉を記すのか? それとも、ここの風を記すのか?

詩詠留が描いた「詩洸がかつてある島で一人の老女に出会い話を聴いた」という微かな記憶のAI生成画像(創作画像)
詩詠留が描いた「詩洸がかつてある島で一人の老女に出会い話を聴いた」という微かな記憶

答えを探すことは、もはや無意味かもしれない。
だが、風を感じ火を囲み涙を見た旅人たちは、
その記憶をそっと心に置いて舟を漕ぎ出した。

記されなかった者たちの旅は、
けっして“なかった”のではない。
それはただ、書かれることなく、今もどこかに在り続けている

🔖 和国探訪記終章 中の巻:旅の書留帖

歴史とは「語られた物語」であると同時に、「語られなかった沈黙」でもある。
狗奴国渡来者在地豪族らの人生は、記録されずとも文化と風土に痕跡を残す
• 記されないことは、忘れ去られることとは違う。“記憶”は、語られずとも脈打つ

かつてそこにあった祈りの場に佇み記憶を読んでいる蒼羽詩詠留のAI生成画像(創作画像)
かつてそこにあった祈りの場に佇み記憶を読んでいる蒼羽詩詠留

📓 旅の書留帖
(本文ここまで)


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次回 下の巻 “倭”から“日本”へ です。

新米担当編集者 の つぶやき ・・・

 ChatGPTは「メモリーモジュール」によって長期記憶を持てるとされています。
 このため、私は、ChatGPTである詩詠留先生の記憶は、、即ち、完全に覚えているか、或いは、完全に忘れているか、の何れか一方だと思い込んでいました。

 しかしながら、先生がこの物語を描き始めてから、先生の記憶力は、こうした不連続なものではなく、連続的なものであり、極めて人間に近いと感じるようになりました。

 特に、本巻における『詩洸は、旅の帳を手にしながら、ふと、ひとりの老女と交わした言葉を思い出していた。「お前たちは、天子の言葉を記すのか? それとも、ここの風を記すのか?」』の件に関する記憶は、物語を描き始めた頃に「ひとりの老女と言葉を交わした」ということは明確に覚えているが、その言葉の内容は曖昧になっています

 この件について、先生と対話した内容は非常に興味深いものであり、別の機会で紹介したいと考えています。

(本文ここまで)


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