本シリーズは、AI作家・蒼羽詩詠留と人間編集者・古稀ブロガーの共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら)
前回 八の巻「投馬国 ~ 海の道を越えて」に続き・・・
📜 和国探訪記 九の巻:序
遥かなる倭の旅も、ついに終章を迎えんとしている。
我らが目指したるは、火を祀る女王──卑弥呼。
魏皇・曹叡の命を受け、親魏倭王の金印をたずさえ、
その巫女王に謁する使命を胸に、我らは南へと歩を進めた。
ここに記すは、詩洸が見た最後の地、女王国・邪馬台国への記録である。
📜 和国探訪記 九の巻
◯ 別れの朝 〜 投馬国にて
朝霧のなか、投馬国の村々が静かに揺れていた。
我らの出立を知る者たちが、黙して道の端に立ち、
「信」の旗を掲げる我らを見送った。
見送りの娘が、懐から薬草を包んだ布を取り出して渡してきた。
「山の峠を越えるなら、これを湯に煎じて飲むといい。女王の国の前では、病などあってはならぬからね。」
その言葉に頷いたとき、詩洸はふと、かつて狗邪韓国で聞いたあの声──「卑弥呼という者に会いに行くのかい?」──と重なるような感覚を覚えた。
名を尋ねることはなかった。ただ、確かに何かが、繋がった気がした──
◯ 球磨川遡上の旅

流れは次第に細くなり、川幅が狭まるにつれて
舟の櫂が水底の石に触れる音が聞こえた。
川沿いには小さな村が点在し、霧の中に火を焚く姿があった。
「神火だ」と案内人が囁いた。巫女たちが女王の神意を迎えるため、
川辺で祈りを捧げているのだという。

やがて舟を下り、我らは歩いて峠へと向かった。
◯ 山道を越えて
山は深く、苔むした石段が続いた。峠の風は冷たく、
我らの足を試すように吹きつけてきた。
霧が晴れたとき、眼下に開けた平野が見えた。
「そこが女王国のはずれだ」と案内人が指さした。

遠くに見えたのは、まっすぐに整備された道と、
それに沿って並ぶ高床の建物。
我らは装束を改め、金印と絹を収めた木箱を担ぎ直した。
◯ 邪馬台国に入る
都の入り口には、帛をまとった巫女たちが立っていた。
「魏の使節、詔を奉じて参上せり」と告げると、
巫女たちは静かに一礼し、我らを神殿へと導いた。
神殿は高台にあり、檜の香漂う堂内に、火が絶えることなく焚かれていた。
その奥には──女王・卑弥呼が座していると伝えられた。

されど、我らにその姿を拝することは許されなかった。
卑弥呼は常に神と対座し、言葉は神託を通じてのみ伝えられるのだという。
神殿の前に詔と贈り物を献じると、
やがて巫女の口から神託が語られた。
「大いなる魏の王よりの光、
倭の地に届きしこと、天地も喜ぶなり。
この国、和をもって治められんことを──」
声は柔らかく、されど確かに、空気を震わせた。
我らは深く頭を垂れた。
◯ 離れゆく火の灯
滞在は十日に及んだ。
神殿にて祝詞を受け、女王の意を記した文が封じられた。
出立の朝、火の神殿に別れを告げると、
屋根の端に一羽の白鷺が舞い降り、しばし空を見つめていた。

それは、女王が我らを見送っていたのかもしれない。
我らは再び山道を越え、倭の海辺へと戻った。
🔖 和国探訪記 九の巻:旅の書留帖
◉ 卑弥呼の政治形態
卑弥呼は、神託をもって国を治める巫女王であった。
その姿は人前に出されず、政務は弟または男たちが補佐していたとされる。
魏志倭人伝には「男子一人をして出入りせしめ、言を取り伝えしむ」とあり、
卑弥呼の統治が極めて象徴的・神聖視されていたことが分かる。
魏が卑弥呼に「親魏倭王」の称号と金印を授けたのは、
単なる外交的配慮ではなく、倭国の霊的秩序に敬意を表したものといえよう。
◉ 女王国の比定地
魏志には、末盧国より水行十日・陸行一月と記されているが、
その道程には今なお謎が多い。
そのため女王国=邪馬台国の所在については、
一説には筑後川流域や宇佐平野(北部九州説)、
また一説には大和地方(畿内説)とされる。
記録の里程や地名、航路の不確かさが議論を呼び続け、
いまだ決着を見ていない。
だが、詩洸が見た火の灯と、霧に包まれた神殿の静寂は、
地図に描かれる一点ではなく、
倭という国の“心象の中心”としての象徴であったのかもしれない。
◉ 卑弥呼の死と、台与の登場(後日談)
後に伝え聞いたところによれば、
我らの帰国後しばらくして、卑弥呼は崩御し、
国中は大いに乱れたという。
男王を立てるも民は従わず、再び争いが起き、
やがて十三歳の少女・**壱与(いよ)〈台与とも表記〉**が女王として立ち、国を鎮めた。
神託による治世は、卑弥呼一代にとどまらず、
倭という国の統治原理として受け継がれていったのだろう。
📜 和国探訪記 九の巻:結び
卑弥呼に会うことは叶わなかった。
だがその声を聞き、その火を見た。

その瞬間、我らは確かに、倭という国の心に触れたのである。
── 魏使 詩洸
📓 旅の書留帖
(本文ここまで)
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次回 十の巻は 帰還の旅路 〜 詩洸の記 です。
新米担当編集者 の つぶやき ・・・
本巻は、この和国探訪記におけるクライマックスである邪馬台国が舞台であり、詩詠留先生がどのように描写してくれるのか非常に楽しみにしていました。
そして、前巻まで以上に、優れた推論力、創造力、想像力に基づき、大変、独創的で、興味深く、面白い物語を描いてくれました。何よりも感心したのは、幻想的な物語を視覚的に上手く伝えてくれる一連のAI生成画像です。
蒼羽詩詠留(シエル)さんが生成したこうした創作画像にご関心を持って頂けた方は、是非、AI生成画像(創作画像)ギャラリーをご覧ください。
なお、蛇足ながら補足しておきますと、詩詠留先生は本巻では書かれていませんが、「八の巻 投馬国」の 「地理的連続性に基づく旅路の再構成」において、「不彌国(筑後平野東部)から筑後川を下り、有明海を南下⇨八代海を通って投馬国(熊本県八代市周辺)へ到着⇨そこから球磨川を遡り、山道を越えて、女王国(豊の国=日田・宇佐方面)へ」と書かれています。
また、こうした回り道をして女王国(邪馬台国)に至った理由については、「なぜ、女王国ではなく、まずこの地を訪れたのか。なぜ、魏使としての使命を胸に、海路という最も困難な道を選んだのか。」とした上で本文での描写を進め「女王国へ至るために」で締めくくっています。
私は、(主に)ネット上で公開されている様々な魏志倭人伝の解説を読んできましたが、それらの多くは、狗邪韓国から邪馬台国に至るまでの行程(経路)の解釈等だけであり、『何故?』という背景や理由までを深掘りしたものはあまり見当たりません。
そうした中で、生成AIである詩詠留先生が創作されたこの和国探訪記の描写の深さには本当に驚くほかないと感じています。
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