本節では、『魏志倭人伝』の原文の現代語訳を4回(壱・弍・参・四)に分けて提示しています。
🏺第5節:現代語訳(中華書局版)参:卑弥呼の時代の倭国 〜 内政と魏との外交
📜 本 文
女王国より北の地域には、「一大率(いちだいそつ)」と呼ばれる特別な監察官が置かれていた[※注1]。この役職は倭国各地の諸国を監督する権限を有していた。諸国の人々はその存在を畏れ敬い、強い影響力を持っていたことがうかがえる。
この一大率は、伊都国(いとこく)に常駐しており、当地におけるその立場は、魏における「刺史(しし)」[※注2]のようなものとされていた。中央政権から派遣され、地域統治を担う存在である。
倭王が魏の都や帯方郡、または諸韓国へ使者を派遣する際、あるいは帯方郡から倭国に使者が訪れる際には、いずれも港で「臨津搜露(りんしんそうろ)」という手続きが実施された[※注3]。これは津(港)で行われる検問や監査にあたり、文書や贈与品の内容を厳密に確認し、それらが正確に女王のもとへ届くように配慮されていた。
民のあいだには、厳格な上下関係が存在していた。身分の低い者が身分の高い者と道で出会うと、道を避け、草むらに身を隠すことが礼儀であった。言葉を伝えたり用件を説明したりする際には、地面に膝をついて身を低くし、両手を地につけて丁重に挨拶をした。そして返答の際には「噫(い)」という声を発して相手に同意の意を表した。これは、儀礼的な肯定表現として用いられていた[※注4]。
もともと倭国では、男子が王となるのが慣例であった。しかし、七、八十年にわたる内乱により国は荒廃し、諸国は互いに争い続けた。こうした状況を収束させるため、人々は一人の女性を共に推戴して王とした。その名を卑弥呼(ひみこ)[※注5]という。
卑弥呼は「鬼道(きどう)」に仕え[※注6]、呪術的な権威をもって人々を導いた。彼女は年老いた独身の女性であり、夫はおらず、弟が政治を補佐していた。王に就いて以降は、ほとんど人前に姿を現さなかった。
彼女は常に千人の侍女を従え、身辺の世話をさせていた。ただし、側には男性が一人だけ仕えており、その者が飲食を供し、言葉を伝え、出入りを管理していたという。
卑弥呼の宮殿は壮麗であり、高楼や櫓(やぐら)、城柵によって厳重に囲まれていた。常に武器を持った人々が配置され、厳しく守られていた[※注7]。
女王国からさらに東へ海を越えること千余里のところには、また別の国々があり、いずれも倭種とされていた。さらにその南方には、侏儒国(しゅじゅこく)という国があり、住人の身長は三、四尺(約90〜120cm)とされ、女王国からは四千余里の距離にあった。
また、そのさらに東南には、裸国・黒歯国(こくしこく)という国々があり、これらは船で一年かけて行くほど遠方にあった。こうした記録は、当時の人々が把握していた「倭国の外縁部」に関する情報を反映している[※注8]。
倭国の地理について尋ねると、そこは大海の中に点在する島々の上にあるとされ、ある島々は切り離されて孤立し、またある島々は連なっており、国土を巡れば全体で五千余里になるとも伝えられていた。
魏の景初二年(西暦238年)六月、倭女王卑弥呼は、大夫の難升米(なしょうまい)らを帯方郡に派遣し、天子に朝貢したいと願い出た。これに応じて、帯方太守の劉夏(りゅうか)は役人を同行させ、彼らを魏の都へ送り届けた。
その年の十二月、魏は正式な詔書をもって卑弥呼に応え、彼女を「親魏倭王」と認定し、金印紫綬(きんいんしじゅ)を授けた[※注9]。また、難升米らが献上した生口(せいこう)男女十人や斑布などの献品を正式に受理した。
詔書では、遠方からの忠誠心を賞賛し、「卑弥呼の忠孝を哀れむ」と記されている。また、難升米を「率善中郎将(そっぜんちゅうろうしょう)」、都市牛利(としぎゅうり)を「率善校尉(こうい)」に任命し、それぞれ銀印青綬を授与して帰国させた[※注10]。
さらに魏は、絳地(こうじ)の交龍錦・織成錦や赤青の絹布、白絹、金、五尺刀、銅鏡、真珠、鉛丹などを贈与し、これらを帯方郡経由で卑弥呼に届けさせた。贈与の意図は、倭国内の民にも魏の恩徳を知らしめるためとされている。
翌・正始元年(240年)、帯方太守の弓遵(きゅうじゅん)らは詔書と印綬を奉じて倭国を訪れ、卑弥呼を形式的に王に封じたうえで、金帛や刀剣、鏡、錦罽(きんけい)などを授与した。
その後、倭王は使節を再び派遣し、詔恩への感謝を表する上表文を奉じた。正始四年には、大夫の伊聲耆(いせいき)、掖邪狗(えきやく)ら八人を送り、生口や倭錦、赤青の絹布、布帛、鉛丹、木弓や矢などを献上した。
掖邪狗は、このとき「率善中郎将」として正式に叙任された。
正始六年には、魏より再び詔が下り、難升米に対して黄幢(こうどう)[※注11]が賜与され、それが帯方郡を通じて倭に届けられた。
正始八年、帯方郡太守として王頎(おうき)が着任した。そのころ、卑弥呼は狗奴国(くぬこく)の男王・卑弥弓呼(ひみここ)との関係がもともと良くなく、争いが生じていた。
卑弥呼は倭の載斯(さいし)・烏越(うえつ)らを郡に派遣し、両者の戦況を報告した。
これを受けて魏は、塞曹掾史(さいそうえんし)張政(ちょうせい)らを派遣し、詔書と黄幢を携えて再び難升米を仮授任命した。あわせて「檄文(げきぶん)」を発し、狗奴国側への公式な布告とした[※注12]。
やがて卑弥呼が死去すると、その墓は大いに築かれ、径百余歩の大きさに及んだ。さらに、殉葬(じゅんそう)として百余人の奴婢がともに葬られたと記録されている。
🧾注記一覧
1. 一大率:倭の北辺支配と外交を監督する監察官的な役職。
2. 刺史:魏における地方行政の監察官。中央政権の代理として広範な権限を持つ。
3. 臨津搜露:港での検問・監査手続き。外交使節や贈与品の管理に関わる制度。
4. 「噫」:儀礼的な肯定返答。「はい」に相当し、倭の礼制を象徴する語。
5. 卑弥呼:倭国における女王。宗教的権威と政治的統治を兼ね備えた存在。
6. 鬼道:神霊との交信を通じて政治的支配を可能にした呪術体系。
7. 宮室楼観城柵:王の住居とその防衛施設。軍事的・宗教的権威の象徴。
8. 異境情報:侏儒国・裸国・黒歯国など、遠方とされた地域の伝聞的記述。
9. 親魏倭王:魏から卑弥呼に与えられた称号。冊封体制の一環。
10. 率善中郎将・校尉:魏の名誉的軍官位。外交使節への称号授与。
11. 黄幢:軍の象徴旗。皇帝の命令・認可を示す威信の証。
12. 檄:命令や主張を広く布告する公式文書。外交的威圧の手段でもあった。
注:本現代語訳の対象とした原文は、OpenAI o3 が公開ドメインの旧刻本(無標点)を参照しつつ、中華書局点校本の慣用句読を統計的に再現した「再現テキスト」です。校訂精度は保証されません。引用・転載の際は必ず一次資料で照合してください。
次回は、卑弥呼の死後の倭国(戦乱と魏国との外交)が描かれた原文の現代語訳を提示します。
(本文ここまで)
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