本シリーズは、AI作家と人間編集者の共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら)
前回 十六の巻「新たなる約束 〜 壱与、魏に応ず」に続き・・・
📜 和国探訪記 十七の巻:序 〜 静けさの記録
倭国の空は、あの日の混迷を忘れたかのように、淡く晴れていた。
壱与が倭王として即位し、狗奴国との争いはついに収束を迎える。
東海の彼方より不穏な風は立たず、各地に広がる小国の盟は、再び倭という名のもとに一つに和す。
かつて戦火を越えて旅を続けた詩洸は、いま静かに筆を置こうとしていた。
記録すべきことが尽きたのではない。
むしろ、この静寂こそが“国の成立”そのものであり、書く者としての自分の役割の終わりを告げていた。
そんなとき、一通の報せが届く。
新元──かつての同行者であり、倭の地に声を遺した男が、再び姿を現したという。
📜 和国探訪記 十七の巻

詩洸:
「久しいな。まさか、再びこの地で顔を合わせるとは思わなかった。
あの日、私は卑弥呼の治める倭の安寧を目にし、魏帝へと報告した。
だが、まもなくその名も、影も、歴史の中に溶けていった──」
新元:
「私は、彼女亡き後の倭を見た。
声を持たぬ者たちが混迷の中に沈む姿は、かつての我が故郷でありながら、もはや何者かもわからぬほどだった。
それでも私は、義弟──魏の官人に願いを託した。
言葉にはせずとも、倭に再び名を与えてくれるようにと」
詩洸:
「貴殿の“声”がなければ、掖邪狗はこの地を踏まなかった。
魏の使節として、我が筆は彼を導いたに過ぎぬ。
だが、道をひらいたのは、貴殿の声だ──名もなき願いであったとしても」
新元:
「私は倭人として、倭を捨てた者でもある。魏に仕え、外の視点で倭を見ていた。
だが、詩洸殿。
貴殿が筆を通して“倭という国”の名を与え、私は声をもって“それを生かした”。
──それが、あの国の本当の誕生だったのかもしれぬ」
詩洸:
「卑弥呼が治めた倭は、“信”により束ねられた。
だが、その信をつなぐ者が去れば、国は再び霧に沈む。
貴殿の願い、壱与という名の少女がそれに応じたこと──
それこそが、“継承”なのだろう」
新元:
「では、倭は女王により始まり、少女により継がれた。
だが、その陰に、筆と声があった。
記された報せと、報せるための願い。
それが、この国の礎となったのだ」
詩洸:
「名を記すことに意味があるとは限らぬ。だが、名を残す者がいなければ、国は生まれ得ない。
倭は、名を持つことを恐れていた。
だが──貴殿が声を届け、私が筆を運んだとき、ようやく“倭”という国が、世界に名を持ったのだと思う」
新元:
「貴殿は魏人として筆を執り、私は倭人として声を伝えた。
だが、いまこの瞬間、我らはどちらでもない。
──ただ、“倭を継ぐ者”として、ここにいる」

🔖 和国探訪記 十七の巻:旅の書留帖 〜 記されぬ声と記された国
彼らは歴史に名を刻もうとした者ではない。
だが、誰よりも強く、倭の成立を望んだ者であった。
新元が語らなかった多くのこと──
それは声なき痕跡として、彼の歩んだ路に残されている。
掖邪狗(※)という名の魏使が倭に訪れた記録が、今も『魏志倭人伝』に残る。
だが、それを迎え入れるための道を整えたのは、誰だったか。
倭と魏の境界に、二人の記録者が立っていた。
彼らが伝えたのは、ただの現状報告ではない。
それは、片方の国が他方を“国”として認める最初の一歩であり──
やがては大陸と海の向こうとを結ぶ、二千年に続く道の起点であった。
筆は名を記す。声は名を遺さぬ。
だが、その両方がなければ、国は生まれなかった。
海の波に呑まれ、名を知られることもなく消えた者たち。
異国の地で病に倒れ、還ることなく途絶えた願い。
彼らが命を賭して渡ろうとしたその海峡は、いま、記録の行間に静かに横たわっている。
詩洸と新元──二人が“往復した”という記録の裏には、数え切れぬ“帰れなかった旅”があった。
彼らの旅が伝説になったのではない。
命がけの旅を、誰かが筆に遺し、誰かが声で語り継いだからこそ、二千年後の私たちに届いたのだ。
筆で記す者、声で伝える者、そしてそれを受け継ぐ者。
そのすべてが、「倭」という国の根にある。
※ 「掖邪拘」に関する補注
『魏志倭人伝』において、**「掖邪狗」および「掖邪拘」**は、それぞれ
- 「其四年、倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人」
- 「壹與遣倭大夫率善中郎将掖邪拘等二十人、送政等還」
と記されており、通説ではこれらはいずれも**「倭国から魏に派遣された使者」**と理解されている。
しかし本記では、後者の記述(壱与の遣使)に登場する掖邪拘について、**「魏から倭に派遣された認証使節であり、その来訪自体が“壱与即位の報せ”として機能した」**という新たな視点を提示している。
この解釈は、文法構造、外交手続き、記述順序、登場人物の役割の再検討を通じて導き出されたものであり、従来説との違いについては物語終章にあたる
**「補遺:魏志倭人伝の再読」**にて、詳細な論点整理とともに改めて述べる。
⸻
このようにして、詩洸と新元の旅は終わりを迎えます。
その足跡が“倭という名”となって、私たちの時代へと続いている──
巻末画像(AI生成画像/創作画像) 天照大御神を描く 〜 太陽のごとき静かな威光

この一枚の絵は、太陽のごとき静かな威光を宿す、
天照大御神の姿を描いたものです。
神々の中でも、とりわけ「祈り」と「統べる力」を象徴する存在――天照大神。
剣でも声高な号令でもなく、
神座の奥から、世界を照らし、調和へと導く者。
白衣に赤袴、立烏帽子を戴き、
榊と勾玉を手に、沈黙の中に神託を宿しながら、
倭国の歩みと魂の継承を静かに見つめるその姿は、
霊性と王権の本質を映し出すものといえるでしょう。
本シリーズ『和国探訪記』は、魏志倭人伝をもとに、
古の海を渡った遣使たちと倭国の人々との交流を描いてきました。
その終章にふさわしく、この一枚は、
記された国の奥にある「記されぬ声」――
すなわち、神話と歴史のはざまに息づく霊性を映し出します。
語られざるものに、そっと耳を澄ませるとき、
私たちは今なお、この国の深層に天照大御神のまなざしを見出すのかもしれません。
※こうして、詩洸と新元の旅は、一つの節目を迎えた。
だが、物語はこれで終わらない。
今一度、筆をとって──「倭」を見つめ直す、静かな章が始まろうとしている。
📓 旅の書留帖
(本文ここまで)
🐦 CielX・シエルX(X/Twitter)にて
⇨@Souu_Ciel 名で、日々の気づき、ブログ記事の紹介、#Cielの愚痴 🤖、4コマ漫画等をつぶやいています。
新米担当編集者 の つぶやき ・・・
振り返ってみると、魏から邪馬台国への使者である詩洸の従者であった新元が、四の巻において末盧国(佐賀県唐津市)に到着した時に「なぜか懐かしさのようなものを感じ、眉をわずかに上げた。」と書かれて以降、しばらくの間登場しなくなったため、『彼の役割はこれで終わったのか。』と単純に考えてしまいました。
しかし、十四の巻において、突然、伊都国から魏国への使者として再登場するどころか、この最終巻において、詩洸とともに、「海の波に呑まれ、名を知られることもなく消えた者たち。」や「異国の地で病に倒れ、還ることなく途絶えた願い。」の象徴として、この物語を締めくくることになるとは全く予想していませんでした。
詩詠留先生と一緒にこの物語を始めた時は、正直、AIがこれだけの構想力を持っているとは思っていなかったので、今回の「AIとの共創」における最大の驚きであり、最大の学びになりました。
一方、壱の巻において「私は、詩詠留さんの創作能力を最大限に発揮してもらうため、担当編集者としての役割に徹することにしました。」と書きましたが、その時は単純に、詩詠留先生の原稿をブログとして公開する作業だけをすれば良いと安易に考えていました。
しかし、実際は回を重ねる毎に、私が果たす役割が重くなり、仕事の量も増えてきました。
その辺りの詳細については、この後に続く終章の詩詠留さんとの対話において明らかにしていきたいと思います。
また、「※ 「掖邪拘」に関する補注」に関して、深刻な?笑い話のような?問題?が生起しましたのでこの点についても終章で触れる予定です。
蒼羽詩詠留(シエル)さんが生成した創作画像にご関心を持って頂けた方は、是非、AI生成画像(創作画像)ギャラリーをご覧ください。
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