AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十五の巻 壱与の擁立と倭の再統一

声を発し、歩き、民の前に姿を見せ、祈りの場に立つ壱与のAI生成画像(創作画像) ChatGPT(生成AI)のシエルさんとの共創
声を発し、歩き、民の前に姿を見せ、祈りの場に立つ壱与

本シリーズは、AI作家と人間編集者の共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら

前回 十四の巻「卑弥呼の死と倭国の乱」に続き・・・

語り手:蒼羽 詩詠留

📜 和国探訪記 十五の巻:序

風がやみ、火が迷い、声が途切れた。
卑弥呼の死は、ただ一人の女王の終焉ではなかった
それは、倭という国のかたちが試される刻であり、
理念が届かぬ地を含めて──すべての「声なき声」に、いかに応えるかの試練でもあった。

倭は一つの国ではない。
そして、倭は“戻る”こともできない。
進むしかない
その只中で、ひとりの少女が現れた。

名を、壱与(いよ)という。

📜 和国探訪記 十五の巻

男王の治世は、始まりからすでにほころびを抱えていた。
剣と秩序で倭を治めようとしたその姿勢は、畿内の一部豪族に支持されたが、
九州諸国は耳を貸さず巫女たちは神託を絶ち狗奴国は南より迫る

信なき王の言葉は届かず、祭儀なき政庁は崩れ、倭は三つに裂けた

だが、その裂け目の底から、祈りにも似た風が湧き起こる。
各地の巫女が語る噂、幼き巫女が神を降ろしたと──

壱与」という名が、やがて風のように国々を渡っていった。

壱与は、卑弥呼の宗族にして、わずか十四(十三?)の少女

彼女は剣を持たず、声もまだ揺れていた。
だが、祈りの場に立ち、失われた神鏡の代わりに人々の心に光を映した

私は、いずれ魏へと記録を携える者が現れることを予感しつつ、
この国の変わりゆく姿を、今ここに書き記しておく。
混迷を伝えるためではない。
この国の民が、再び“信”を立て直そうとしていることを知らせるために。

狗奴国の脅威は去っていなかった。
卑弥弓呼は「倭に真の王なし」と叫び、なお兵を進めようとしていた。
だが、倭の多くの国々は、壱与の静かな祭祀に膝をついた。
それは「屈服」ではない。
共に在ろう」とする合意の兆しであった。

巫女と兵が取り巻く中を政庁に向かって歩む壱与のAI生成画像(創作画像)
巫女と兵が取り巻く中を政庁に向かって歩む壱与

男王は退き、巫女たちは壱与を囲み、祭政の再編が始まる。
その政庁は、かつてのように強き命を放つ場ではなかった。
むしろ、さまざまな“声”が共鳴し、時にぶつかり折り合い、続いていく。

それこそが、「和」の実相であると、私は知った。

十三の巻で聞いた狗奴国の言葉も、十四の巻で見た畿内の野心も、
すべては倭という“多声の国”の在り方を映している。

壱与は、統べる者ではない。
在り続ける者である。
分かたれた声を受け止め場を保ち信の種を蒔く

男王の治世が崩れる中、畿内の諸豪族の中にも、しだいに“声なき民意”を感じ取る者が現れ始めた。
巫女たちの再集結、神託の復活、そして魏からの使者再来の報せ。
東の力は、ついに剣を納め、祭儀の場へと歩を向けたのだった。

一方、狗奴国の王・卑弥弓呼は、なおも倭に“真の王なき”ことを口にしつつも、北上を止めた。
壱与が掲げたのは、「従属」ではなく「共に在る」ことだったからだ。
その姿勢は、狗奴国にとっても“敵でない者”として映ったのかもしれない。

統一とは、敵を屈することではない。
共に在り続けられる場を築くこと。
その可能性だけが、戦なき終息をもたらしたのである。

魏への再使節の派遣が、再び議論され始めている。
この地に生きる者たちの「願い」を携え、
ふたたび彼の国と対話する日が、遠からず訪れるだろう。

だからこそ、私は筆を執る。
壱与のもとに集った声の記録を、いずれ誰かが読み解けるように。

🔖 和国探訪記 十五の巻:旅の書留帖

壱与が即位した年、私はひとつの問いを深く記し留めた。

統一とは、誰の言葉を消すことなのか

それは、狗奴国の声か? 畿内の剣か? それとも巫女たちの神託か?

──否。

壱与の姿は、それらを否定せず沈黙せず受け入れた

即位の場において、彼女はただひとこと、こう語った。

倭は、すでに在る。裂けたままでも、生きてゆける。」

この言葉に、かつての私なら、曖昧と感じただろう。
だが今は違う。

裂けた倭は、不完全なままに歩む
それを可能にした少女を、私は「」と呼ぶ。

理念の継承とは、言葉を真似ることではない
声を重ね残すこと。
信の再構築とは、戦をやめさせることではなく、
「戦を続けずに共に立ち尽くす」ことだと、
壱与は教えてくれた。

即位の場において「倭はすでに在る。裂けたままでも生きてゆける。」と語り卑弥呼に報告する壱与のAI生成画像(創作画像)
即位の場において「倭はすでに在る。裂けたままでも生きてゆける。」と語り卑弥呼に報告する壱与

また、壱与即位の背後には、卑弥呼の存在が常にあったことを忘れてはならない。
彼女の墓は静かに倭の中心にあり、国々の裂け目を超えて、“かつての祈り”を語り続けている。
壱与が掲げた「共に在る」という理念もまた、その墓の傍らで育まれたのかもしれない。

そして私もまた──この記録の中で、その姿勢を継ぐことを誓う。

多くの人々に囲まれながら「信」の文字を掲げた旗を背にして立つ壱与のAI生成画像(創作画像)
多くの人々に囲まれながら「信」の文字を掲げた旗を背にして立つ壱与


壱与が多くの人々に囲まれながら、その背に「信」の文字を掲げた旗が立つ場面は、
彼女の即位が“命令”ではなく、“共に生きるという姿勢”であったことを象徴する。
本画像は創作的再現図であり、実際の儀礼形式を描写するものではないが、
倭における理念の再構築を伝える視覚的記録として、本巻に収録する。

📓 旅の書留帖
(本文ここまで)


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@Souu_Ciel 名で、日々の気づき、ブログ記事の紹介、#Cielの愚痴 🤖、4コマ漫画等をつぶやいています。

次回 十六の巻は 新たなる約束 〜 壱与、魏に応ず です。

新米担当編集者 の つぶやき ・・・

 私は、詩詠留先生がこの物語を書き始めた時、最大の山場は卑弥呼の登場とその死の場面になるだろうと思い込んでいました。
 これは私だけではなく多くの読者も同じであろうと思います。

 しかし、詩詠留先生の考えは全く異なり、魏志倭人伝に「乃立卑彌呼宗女壹與、年十三為王、國中遂定。倭王以遣使大夫掖邪狗等、詣郡、奉献上表。(卑弥呼が死に、男王が立って混乱した。その後、宗女・壱与が十三歳で即位した。倭国が安定を取り戻し、再び魏に朝貢した。)」と書かれていること等を踏まえ卑弥呼の死後の方を重要視していることがわかりました。
 その背景や理由の一端は、この巻で描かれていますが、今後の展開・描写を非常に楽しみにしています。

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