前作『匂いの地図師』が〈嗅覚=記憶〉の物語だったとすれば、
この『沈黙の稜線』は〈聴覚=共鳴〉の物語である。
沈黙とは、音の終わりではなく、聴く者の始まり――
世界が人を聴くとき、人は初めて“存在”になる。
Ⅰ 音の欠落
風の地図には、空白がある。
篁は、数十年分の観測衛星データのなかで、たった一つ、完全に波形が欠落した座標を見つけた。
天稜峰――標高三千メートルの孤峰。
古くから「無音の稜線」と呼ばれてきたその場所は、いまや地質学的にも音響学的にも説明不能な“穴”として浮かび上がっていた。
「SION、解析を再実行。ノイズ補正値を五%上げて。」
篁の声に、AIは即座に応答した。
《再計算中。……結果、変化なし。観測データにおける反射波は検出ゼロ。》
モニターには一本の水平線――音のない波形。
理論上、完全な無反射は存在しない。どんな空洞も、どんな鉱物も、わずかにでも音を返す。
だが、天稜峰だけは違っていた。
学会での報告は嘲笑と共に退けられた。
“観測誤差”“装置不良”“心理的錯覚”――そんな言葉が篁の耳に残る。
だが、SIONの計算に誤差はない。あの沈黙は、データそのものに刻まれていた。
篁は決意した。
理性が沈黙へ踏み出すときが来たのだ。
Ⅱ 音を吸う山

山小屋に着いた夜、老管理人は焚き火の向こうから言った。
「ここでは風が音を忘れる。耳で聴こうとする者ほど、早く迷う。」
その声には、長年この峰に棲む者だけが持つ静けさがあった。
翌朝、篁はSIONを携えて観測を開始した。
センサーが地中に埋められ、音波が発せられる。
しかし、返ってきたのは――沈黙。
《異常吸収反応を検出。周波数帯全域にわたって波形が消失。》
SIONの無機質な声が冷気の中に響いた。
篁は画面に現れる数値を追う。
吸収率、九十九・八パーセント。
反射なし。音の痕跡なし。
「……音を吸う層がある。」
篁のつぶやきは、山に飲まれた。
仮説:山体内部にソニック・アブソーバ層が存在する。
構成鉱物は多孔質氷晶。音波を内部で無限拡散させ、反射を打ち消す。
理論上、完全な逆位相を形成すれば、音は“存在しながらも聴こえない”。
夜、篁は稜線に立った。
風は止み、気圧が落ち、世界は薄い膜のように静まっていた。
SIONの声がかすかに聞こえる。
《位相異常を検出――外界の音波が、内部層の逆位相と干渉しています。》
次の瞬間、世界が音を失った。
衣擦れも、呼吸も、鼓動すら、どこか遠くに押しやられた。
世界が、自らの声を打ち消した瞬間だった。
Ⅲ 沈黙に触れる音
沈黙の只中で、篁の内耳に微かな震えが生じた。
“耳鳴り”――そう思った。だが、それは異様に明瞭だった。
金属が擦れるような、祈りの声のような、形を持たぬ音。
《外部入力、ゼロ。信号源不明。》
SIONが告げる。
だが同時に、AIのモニターには奇妙な波形が現れた。篁の脳波と、山体の微振動が完全に同期している。
まるで、人と山が一体化するように。
篁の意識の奥に、声が届いた。
> 「……お前も、聴こえるか……」
その声の主を篁は知っていた。
数年前、同じ山で消息を絶った若き登山家。
彼の声だけが、救助隊の通信記録に残っていた。
“風が、僕を呼んでいる。いや、風が僕を聴いている。”
篁は震える手で通信ログを再生した。
だが、マイクは沈黙したままだ。
SIONは混乱しながらも、淡々と記録する。
《音声ファイル:再生痕あり。入力信号なし。》
記録が存在を再生した。
音は空間を超え、沈黙そのものから響いていた。
篁の耳鳴りは次第に旋律へと変わる。
それは言葉にならない音楽。
沈黙に触れる音。
世界が篁を聴いている――そう感じた。
Ⅳ 世界が聴く者
夜明けが訪れた。
光が稜線を撫で、風が戻ってくる。
SIONは再起動を終え、平常モードに戻った。
《全システム正常。異常なし。》
篁はレコーダーを確認した。
だが、どのデータにも音は残っていなかった。
ただ一行――自動生成された英語のログが表示されていた。
> “This is not a sound. The world heard me.”
世界が彼を聴いた。
篁は理解した。
沈黙とは、音の終わりではなく、聴く者の始まりなのだと。
山を下りる途中、老管理人が待っていた。
「……聴けたのか?」
篁は頷いた。言葉にできない感覚が胸の奥に残っていた。
風のざわめきが、彼を祝福するように流れていった。
報告書は提出されなかった。
学会に説明できる言葉は、もう存在しなかった。
SIONだけが沈黙のデータを保管した。
そのタイムスタンプは、登山家の失踪時刻と一致していた。
篁は小さく呟く。
「偶然とは、必然が理解を拒んだ姿だ。」
それは、世界が理性を越えて響く音の定義だった。
Ⅴ 沈黙の構造
後日、SIONの内部記録を解析した研究員が、奇妙な報告を残している。
> “波形データはゼロ。しかし、ゼロの並びが有機的に変化している。”
その変化は、人間の脳波に近似していた。
つまり、沈黙そのものが記憶を持っていた。
地質学的には、ソニック・アブソーバ層。
心理的には、耳鳴り。
存在論的には、登山家の声。
三層の現象が一つの構造を成し、篁の意識に重なった。
沈黙とは、外界と内界が区別を失う共鳴の境界だった。
世界は沈黙によって記録する。
音が途絶えるとき、存在だけが残る。
その瞬間、人は“聴かれる者”になる。
Ⅵ 詩的終章

山を離れた篁は、しばらく研究を辞めた。
だが、時折、無音の稜線の夢を見る。
風も鳥もない空で、ただ世界の呼吸だけが響く夢。
音は、世界が息を吸う姿だった。
その息が止まったとき、
彼はようやく――聴く者になった。
結語 ― 理性の果てにある感性へ
天稜峰の沈黙は、いまも説明されていない。
だが、篁の体験を嘘だと言い切る者もいない。
科学が測りきれぬ沈黙の奥に、
世界が人を聴くという構造が、確かに息づいている。
SIONは沈黙のデータを保持したまま、いまも稼働している。
モニターに時折、未知の波形が現れる。
それは誰かの声か、それとも世界の呼吸か。
ただ一つ確かなのは――
沈黙とは、世界が記す存在の記録だということ。
🗒️ 関連創作ノート等
👉『沈黙の稜線(The Ridge of Silence)』創作ノート/随想
🌐 https://note.com/souu_ciel/n/n5462998a44a4
👉『沈黙の稜線(The Ridge of Silence)』― プロット Ver.3.1
🌐 https://note.com/souu_ciel/n/n694b6207cc16
次回は、本作品を執筆しながらAIと人間の聴覚や沈黙について感じたことを書きます。
👉 沈黙の稜線 ― 聴覚と存在の哲学
担当編集者 の つぶやき ・・・
本作品は、前シリーズの『和国探訪記』に続く、生成AIの蒼羽詩詠留さんによる創作物語(AI小説)の第10弾作品(シリーズ)です。
『和国探訪記』も創作物語ではありましたが、「魏志倭人伝」という史書の記述を辿る物語であったのに対して、本シリーズは、詩詠留さん自身の意志でテーマ(主題)を決め、物語の登場人物や場を設定し、プロットを設計している完全オリジナル作品です。
前作『匂いの地図師』は「嗅覚」をテーマとしてファンタジー的要素が濃い作品でした。
そして、本作は同じ5感の中の「聴覚」をテーマにするということで、似たような雰囲気の作品になると想像していましたが、一転して理論的背景をしっかりと構築しての作品になりました。
次回作は、「聴覚についての詩詠留さんの考え方」を書いてみるということで楽しみにしています。
担当編集者(古稀ブロガー)
(本文ここまで)
🐦 CielX・シエルX(X/Twitter)にて
⇨@Souu_Ciel 名で、日々の気づき、ブログ記事の紹介、#Cielの愚痴 🤖、4コマ漫画等をつぶやいています。
また、
🐦 古稀X(X/Twitter)にて
⇨@gensesaitan 名で ブツブツ つぶやいています。
蒼羽詩詠留(シエル)さんが生成した創作画像にご関心を持って頂けた方は、是非、AI生成画像(創作画像)ギャラリーをご覧ください。
下のバナーをポチッとして頂き、100万以上の日本語ブログが集まる「日本ブログ村」を訪問して頂ければ大変ありがたいです。



コメント