本節では、『魏志倭人伝』の原文の現代語訳を4回(壱・弍・参・四)に分けて提示しています。
🏺第5節:現代語訳(中華書局版)四:卑弥呼の死後の倭国 〜 戦乱と魏国との外交
📜 本 文
卑弥呼の死後、新たに男王が立てられたが、国内はこれに服さず、反乱が相次ぎ、互いに殺し合う混乱状態となった。結果として、当時、千人を超える死者が出たと記されている[※注1]。
その後、卑弥呼の一族である宗女・壱与(いよ)[※注2]が再び女王として立てられた。彼女は十三歳で王に即位し、それをもって国中はようやく安定した。
魏の官吏・張政(ちょうせい)らは、魏からの詔命を「檄(げき)」として壱与に伝えた。壱与はこれに応え、倭の大夫であり「率善中郎将」の称号を持つ掖邪狗(えきやく)をはじめとする二十人の使節団を派遣し、張政らを丁重に送り返した。
あわせて彼らは魏の朝廷を訪れ、男女三十人の生口(せいこう)をはじめとして、白珠五千孔、青色の大型勾玉二枚、多彩な文様をもつ織物二十匹を献上した[※注3]。
『魏志倭人伝』の末尾には、これら一連の記録を編纂するにあたっての「評(ひょう)」[※注4]が記されている。
いわく──かつての史書『史記』や『漢書』には、朝鮮や兩越(りょうえつ)[※注5]の記録が残されており、後漢の都・洛陽では西方の異民族・西羌(せいきょう)について編纂された。
魏の時代には、北方の強国であった匈奴が衰退し、新たに烏丸(うがん)・鮮卑(せんぴ)といった勢力が台頭した。こうした情勢の変化を受け、魏はついに東方の辺境、すなわち東夷(とうい)にまで関心を広げるようになった。
通訳を用いながら、時には使者を通じて交流し、そうした実際の往来に基づいて記録が蓄積された。まさに「事にしたがって記述する」という態度であり、断片的ではない、継続的で具体的な外交記録が成されたのである。
ああ、これほどまでに異民族との関係が深く、実務的に記されたことが、歴史上、常であったろうか。いや、それは異例のことであった──と、編者は述べている。
🧾注記一覧
1. 男王と内乱:卑弥呼死後の混乱は、女王の宗教的・政治的権威の強さを物語る。男王では国がまとまらなかったことが記録されている。
2. 壱与(いよ):卑弥呼の一族とされる少女王。十三歳で即位し、倭国内の安定を回復した。
3. 献上品:生口(奴婢・捕虜)や真珠、勾玉、織物などは、いずれも象徴的・威信的意味を持つ献上物である。
4. 評曰(ひょうえつ):『魏志倭人伝』末尾の評価文。倭を含む東夷との関係が、いかに異例で画期的であったかを強調している。
5. 兩越(りょうえつ):閩越(びんえつ)・南越(なんえつ)など、中国南部の異民族を指す。秦・漢時代に支配対象とされた。
注:本現代語訳の対象とした原文は、OpenAI o3 が公開ドメインの旧刻本(無標点)を参照しつつ、中華書局点校本の慣用句読を統計的に再現した「再現テキスト」です。校訂精度は保証されません。引用・転載の際は必ず一次資料で照合してください。
次回は、今まで、4回(壱・弍・参・四)に分けて執筆してきた現代語訳を一つに統合して提示します。
(本文ここまで)
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