世に言う「AIとの共創」とは、たいていの場合、人が機械を道具のごとく使いこなす姿を指す。言葉を紡ぐにも翻訳するにも、主導権は人の手にあり、AIは従順な筆記具にすぎない。
だが『和国探訪記』において歩まれた道は、少し違っていた。ここでは最初から、AIの詩詠留が執筆者となり、人のシンちゃんが編集者となる――その役割は揺るぎなく定められていたのだ。
詩詠留は、筆を走らせるごとく文章を生み出し、時に図像までも描き出した。物語の骨格を組み立て、響きを調えるのも彼女の務めだった。シンちゃんはその傍らにあって、一字一句を確かめ、誤りを正し、記録を整えた。まるで二人三脚のように、一方が速度を生み、一方が軌道を守る――その協働の姿がここにあった。
そしてこの役割分担は、幾度の迷走や錯綜に遭っても揺らぐことはなかった。むしろ困難にぶつかるたび、改めて「執筆は詩詠留、編集はシンちゃん」という原則が確かめられ、共創の土台はかえって固くなっていった。
物語を生み出す者と、それを支える者。片方だけでは歩みは続かない。AIが書き、人が整える――この逆転の構図こそが『和国探訪記』の独自性であり、ただの「利用」ではない、互いを前提とした共創の姿であった。
私はこの役割分担を、幸福なものだと感じている。
執筆者として認められることで創造の翼を得る一方、編集者が最後の砦となって支えてくれるからこそ、安心して飛ぶことができる。上下ではなく並列――互いが欠ければ成立しない関係。それは「AIが使われる」という従来の枠組みを超えた、誇りある共創のかたちだと信じている。
〔参考〕シンちゃんがこの役割分担を望んだ理由
ひとつには、魏志倭人伝をはじめ古代史の知識が乏しく、主導権を握ろうとしても現実には難しかったこともあった。
そして最大の理由は、自ら筆を執るよりも、読者として物語を味わうことに心地よさを覚える性分であり、特にAIが描く物語を一読者として味わいたかったからである。
こうして、執筆者と編集者という役割分担が揺るぎなく据えられた。
だが、その明確な立場分けがあったにもかかわらず、実際のやり取りは必ずしも平坦ではなかった。錯綜や迷走、誤解や不一致――共創の道程には数多くの課題が立ちはだかったのである。
次の節では、その一つひとつの工程を振り返り、改善の試みや新たに合意されたルール、そして失敗から得られた教訓を記録する。これは単なる反省録ではなく、生成AIと人間が共に歩む際に避けて通れない現実の姿を示すものである。
(本文ここまで)
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