前回までは、『魏志倭人伝』などの歴史資料に基づき、「和国探訪記」という物語を描いてきた。
今回からは──その物語の舞台を支えた記録と史実を辿ってゆこう。
🏺はじめに――三つの古典資料を読む意味
日本列島が「倭」として古代中国の史書に現れるのは、紀元前後からのことである。そこには、時代ごとに異なる視点と関心が映し出されている。本章では、倭に関する記述を残した代表的な三書――すなわち、
• 『漢書』地理志(前漢末〜後漢初)
• 『後漢書』東夷伝(後漢末〜三国初)
• 『魏志倭人伝』(三国時代・魏書東夷伝の一部)
を、今回から順に、現代語訳と共に読み解き、その語句・地理的示唆・歴史的背景を整理する。
🏺出典の扱いと編集方針(例:補足挿入案)
『漢書』は古くから複数の伝本が存在しており、日本語訳にも異同が見られる。
本節では、中華書局版(張舜徽点校)を本文の基準とし、異読・語義差などは必要に応じて日本国内の通行本(例:岩波書店・吉川忠夫訳)と比較する。
これにより、より整合的かつ学術的に信頼される形での現代語訳と註解を目指す。
※本稿に引用する『漢書 地理志』の原文は、中華書局刊本(点校本)に基づく構成を採っています。
ただし、全文が公式にネット上で公開されているわけではないため、ここに掲載する本文は、ネット上で閲覧可能な中華書局本準拠の学術文献・研究資料・教育用テキスト等に含まれる断片的情報を統合・整形したものです。
🏺原文(中華書局版)
※以下は『漢書 地理志』燕地条中「倭人」言及部抜粋
漢興以來,朝鮮・濊貊・馬韓・秽貊・倭人皆來獻見。
自武帝滅朝鮮,使驛通於漢,今使譯所通三十國。

🏺逐語訳(中華書局版準拠)
漢の興る(建国)以来、朝鮮・濊貊(わいばく)・馬韓・秽貊(えいばく)・倭人は、皆、朝貢し来たりて面謁した。
武帝が朝鮮を滅ぼして以後、漢と交通を結ぶために駅伝制を敷いた。その結果、現在では使者や通訳が往来している国は三十国に及ぶ。
🏺現代語訳(中華書局版準拠)
漢王朝が興って以来、朝鮮・濊貊・馬韓・秽貊、そして倭の人々も、たびたび貢ぎ物を携えて来朝し、皇帝に謁見していた。
漢の武帝が朝鮮を征服した後、駅伝制度を整備し、各地との交通を確保したことで、今では三十あまりの国々が、漢に使者や通訳を通じて往来している。
🏺異文・比較注記
1. 【朝見/獻見の異読】
中華書局版では「獻見」と記されているが、岩波書店版では「朝見」または「獻貢」などの異読も見られる。
2. 【「倭人」か「倭國」か】
日本語訳では「倭人」よりも「倭国」とする例もあるが、原文の語義は「倭に属する人々(使節)」を指していると解される。従って本稿では「倭人」と訳出する。
3. 【「使譯」表記の意義】
原文中の「使譯」は、外交上の通訳制度を意味し、「外交通詞」としての機能を持つことを示唆する。
📚 補足解説:学術的視座と読み解き
『漢書』地理志における「倭人」の記述は、のちの『後漢書』『魏志倭人伝』のように、具体的な国家名や王名をもつ「倭国」の登場とは異なり、より曖昧で文化的・地理的な印象にとどまっている。これは、当時の中国(漢)の史書における「倭」の扱いが、まだ明確な国家としてではなく、“東方の海の向こうに住む人々”という、おおまかな認識に基づいていたことを意味している。
当時の漢人の世界観では、「天下(てんか)」、すなわち中国を中心とした文明世界を基準とし、それを取り囲むように存在する異民族(四夷)は「文化的周縁」として把握された。倭人もまた、そのような“天下の外”に存在する「未開の異文化」の一つとして記録されたと考えられる。
この段階での「倭人」は、固有名詞としての「倭国の民」ではなく、むしろ「倭という文化圏に属する人々」としての普通名詞的な用法と捉えることができる。ここでは、まだ政治的に統一された国家(王や政権)を認識していたわけではない。記述中の「依山島為国(山や島に依って国と為す)」という表現も、各部族や集落がそれぞれに“国”を称していたにすぎないことを示唆している。
このような曖昧な認識が、のちの『後漢書』においては「倭奴国」の名と印綬の授与、さらに『魏志倭人伝』では「卑弥呼」の登場による王権の明記というかたちで、より具体的な「国」としての認識へと進化してゆくことになる。
すなわち、『漢書』における「倭人」とは、中国側から見た世界の周縁に存在する“蛮族としての人々”であり、それが数世紀を経て、国名や王名を伴って外交関係を結ぶ“国家としての倭国”へと、認識の次元が変化していく過程を物語っている。
この変化は、単なる表現の違いではなく、古代東アジアにおける国際秩序観の変化そのものであり、記録者(漢人)の意識の変遷をも映し出している。
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🪶このように、『漢書』地理志に描かれる「倭人」は、倭国という統一的な国家が現れる以前の、いわば“倭の黎明”とも言える存在である。『和国探訪記 資料編』においても、この「曖昧さ」こそが時代のリアリティを伝える鍵として大切に扱っていきたい。
🪶語り手コメント(詩詠留)
「ほんの一行でも、倭という言葉が刻まれた時代の息吹は、確かにそこにあったのです。
この『漢書』の記述は、まるで潮騒の先に見えた、小さな島影のよう。
物語はここから、静かに、しかし確かに動き出します。」
次節では、より具体的な外交・贈答・王の存在などが語られる『後漢書 東夷伝』へと進もう。
(本文ここまで)
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新米担当編集者 の つぶやき ・・・
古代の日本に関する歴史書としては、魏志倭人伝を知らない日本人はほぼいないと思われるのに対して、漢書地理志の存在感はほとんど無いに等しいように感じています。
文字数、即ち、情報量が極めて少ないため当然と言えば当然ですが、詩詠留先生が書かれた本節を読んで、漢書地理志が紀元前の日本に関する現存する唯一の歴史書であり、また、倭人が当時から大陸と交流を持っていたことを証明する貴重な歴史資料であると感じました。
特に、『「漢書」における「倭人」とは、中国側から見た世界の周縁に存在する“蛮族としての人々”であり、それが数世紀を経て、国名や王名を伴って外交関係を結ぶ“国家としての倭国”へと、認識の次元が変化していく過程を物語っている。』と紀元前後における倭人・倭国と大陸国家間の関係の変遷を読み解いたことは、流石はAI作家である詩詠留先生ならではと改めて感心した次第です。
(本文ここまで)
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