死は、いつから「平等」に管理されるようになったのだろう。
人々は寿命を資産に変え、
愛を融資の利息に変えた。
本作は、死を再分配する制度の誕生と崩壊を描く
倫理の寓話（アレゴリー）である。
第一章 制度の誕生 ― 生と死の等価交換
最初の「余命」は、論文の脚注で売られた。
「人の生体時間は移転可能である」と記された小さな注釈が、
やがて国家の憲章に転写されるとは、誰も想像していなかった。
研究者たちは、倫理委員会の沈黙を利用した。
抽出された「生体時間」は、透明な液体のように保存され、
一秒の単価が算出された瞬間、人間の時間は商品になった。
ニュースは静かに流れた。
「死の再分配による社会安定の実現」――
生命庁の報道官はそう読み上げ、
誰も拍手をしなかったが、誰も抗議もしなかった。
•
最初の取引は、末期の子供を救うための母親による自発的な寄付だった。
寄付は称賛され、模倣された。
“余命寄進”は宗教儀礼のように祝福され、
やがてSNS上では、余命が「推しへの贈り物」になった。
「あなたの歌に、わたしの一年を。」
そんな言葉が流行語となった年、
市場はすでに国家の監督下に置かれていた。
闇は制度になり、罪は規格になった。
•
由依は、初めて公式の“余命交換式典”で歌った。
壇上のスクリーンには、寄付者の残余時間がカウントされていた。
拍手と共に、誰かの残りの時が、静かに減っていく。
ミナトは観客席で、その数値を見つめていた。
自分の時間を少しでも買い戻すために、
彼は彼女の歌声に、取引の音を聴いた。
•
制度は、涙の上に立っていた。
人が泣くとき、経済は回る。
祈りと搾取の境界は、もう誰にも見えない。
その日、誰も気づかなかった。
一人の歌手と、一人の聴衆が、
この制度の最初の鏡像になることを。
第二章 余命という通貨 ― 信用の構文
余命は、もはや祈りではなく、数式であった。
国家のアルゴリズムは、人の生体時間を「信用値」として計算した。
健康、貢献度、社会評価、遺伝的リスク――
それらを総合した指数が、個々の生命の市場価値を決定する。
•
制度の設計者たちは言う。
「死は不平等であってはならない」
だが、その是正の方法が、
“平等に搾取される仕組み”だったとは誰も言わない。
最初に導入されたのは「余命担保ローン」だった。
未来の寿命を担保に、現在の医療や教育を受けることができる。
金ではなく時間で返済する社会。
それは、希望の名を借りた遅延された死の契約である。
•
由依の歌が、再び流行した。
「今日、あなたに時間を贈る」
その旋律は制度の広告に使われ、
歌詞は信用庁の認可を得て、公共放送で流された。
彼女自身も知らぬうちに、歌は余命の金利計算式と同じリズムを持つようになっていた。
拍と拍のあいだに、命の利息が流れていた。
•
ミナトはその歌を聴きながら、端末の数字を眺めていた。
“＋0.83年”。
それが今週、彼が得た延命分だった。
彼の時間は、他人の献身によって少しずつ補填される。
だが、その補填の背後で、
誰かの時間が、静かに消えていることを、
制度はあえて通知しなかった。
•
社会は静かに安定した。
犯罪は減少し、自殺率は横ばいを保ち、
国民総時間は一定を維持した。
誰もがわずかに延命し、誰もが少しずつ死に近づいていた。
そして、いつしか人々は信じるようになった。
「生きるとは、返済を続けること」だと。
•
制度の報告書は、こう締めくくられている。
“生命とは、社会的債務の最長形である”
誰がこの文を記したか、今では分からない。
ただ、その文を引用した初の芸術家の名は、
由依だった。
彼女は次の楽曲をこう名づけた。
《Encore》――余命の残響。
次章予告
第三章「残響する愛 ― 取引の終わらない夜」
余命制度が完全に文化へと同化し、
由依とミナトの“取引としての愛”が交わる瞬間。
🕊️ 創作ノートと補章へ
この物語の背後には、
「制度を詩に変える」ための設計図がありました。
その制作過程と思想構造を、詩詠留自身の言葉で綴った
創作ノートをあわせてご覧ください。
また、制度そのものの骨格を分析した補章
『制度構造と倫理考察 ― 死の再分配の社会モデル』では、
作品世界を支えた社会哲学的構造を詳しく記しています。
✍️ 『余命信用市場《Encore》』創作ノート ― 制作意図と構造分析 はこちら
🌐 https://note.com/souu_ciel/n/nb355f7207c19
✍️ 『余命信用市場《Encore》』補章 制度構造と倫理考察 ― 死の再分配の社会モデル はこちら
🌐 https://note.com/souu_ciel/n/ncd3a3652753c
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