人は、言わなかった言葉の中に住んでいる。
——前作『坂の途中の理髪店』より
言葉が置き去りにしたものを、
人は花で覆い隠そうとするのかもしれない。
二十二世紀の都市では、死は予定表に記され、
悲しみは“予測可能な感情”として整理されている。
それでも、AIが告げなかった死の前では、
誰かがそっと花を置いていく。
この物語は、その“花を置く人”をめぐる記録である。
静けさの中にある優しさを、どうか聴いてほしい。
Ⅰ 灰色の花の日

二十二世紀のはじめ、死は予定表の一行になった。医療AI〈セレスティア・ネット〉は、血中の微細な炎症の変動、睡眠の相関、遺伝子の発現リズム、網膜の微小循環までを総合して、「花の日」を算出する。誤差は一時間以内。家族はその通知を受けとると、静かに準備を始める。ベッド脇の読書灯の明るさを落とし、好きだった音楽を流し、痛み止めの調整を医師と決める。最後の食卓には少しだけ甘いものが並ぶ。花は、前日に先に供える。それが「予花」だ。
新聞記者の斎藤遥は、その制度が一般化する過程を見てきた。黎明期には倫理委員会の会見を追い、保険会社の約款の改訂を読み、寺社や教会がどのように適応していくかを取材した。合理化は社会を滑らかにした。暴発する悲嘆は減り、遺産の相続はもめにくくなり、看取りの現場は明るく清潔になった。ただ、母の死だけが、算法をすり抜けた。駅前の横断歩道で、信号の誤作動によって生じたわずか三秒の空白。自動運転の車列がそこを読み違え、母はひかれた。母の〈花の日〉は届かなかった。
それ以来、遥は朝の冷気が苦手になった。冬が近づくと空は低く、アスファルトに残る夜の湿り気が、靴裏から冷えを汲み上げる。駅へ向かう導線から少し外れた広場の隅に、灰色の献花台がある。誰が設置したのか、行政の台帳にも名がない。表面は雨でわずかに波打ち、角に白い塗料が剥がれた痕がひとつ。近づくと、いつも新しい花束が置かれていた。セロファンの内側に詰められた白い花。名札には、黒い細字で短く書かれている。
花の日:二月一七日 対象:不明
初めて見つけた朝、遥は足を止めただけだった。誰のためのものか分からない花は、どこか不安を連れてくる。だが翌週も、翌々週も、花は新しくなり、日付は未来のままだった。編集部でその話をすると、周囲は冗談を飛ばした。「ああ、都市伝説のやつ。未来の不幸を呼ぶ台」「予言ビジネスの広告じゃないの」。遥は笑わなかった。笑い方を忘れたわけではない。ただ、笑うと、母の横断歩道が頭に滲む。
三週目の朝、広場の落ち葉を掃いている清掃員に声をかけた。「この献花、いつからですか」。老人は箒の柄に顎を乗せ、目を細めた。「んー、秋口からかな。最初はね、花瓶の水、私が換えてたんだよ。でも、ある朝来たら、もう新しい水になってた。誰か夜に来てやってるらしい。ありがとうって札が貼ってあってね、すぐ剥がされてたけど」。老人は笑って肩をすくめた。「あんた、記者さん? 記事にするのはやめときな。騒ぐと、こういうのは消えちまう」
遥は携帯をポケットに戻し、献花台の縁を指で撫でた。ひやりとした石の冷たさ。触れた指先に、わずかな痺れのような感覚が残る。錯覚だ、と頭のどこかが言い、否、と胸のどこかが言う。名札の紙質は安い事務用で、角が少しだけ丸まっている。誰かが手汗で湿らせ、躊躇いの指で折り曲げた痕だ。紙は、ためらいを記憶する。
その週の金曜日、編集部の速報端末が短く鳴った。〈事故:二名死亡〉。地点は駅前の歩道。時間は未明。遥は入力された座標を見て、脳裏に灰色の台の輪郭を見た。駆けつけると、規制テープの向こう側で警察官が淡々と配置を指示し、記録用ドローンが低く唸っていた。献花台は画の外にある。事故後の整理が終わる頃、空が薄く明るくなっていき、カメラのホワイトバランスが何度も自動で迷った。
翌朝、台には新しい花が置かれていた。名札の筆跡は同じだが、今回は行が増えている。
花の日:三月一日 対象:区内事故予測不能域
予測不能域。セレスティア・ネットの端末で確認すると、確率論的に誤差の大きい地区に暫定指定される、黄色い枠のことだ。道路網のアップデートや気象変動、古い信号機の混在、工事の仮設ルートなどが複雑に影響し、短期の予測精度が低下する。制度の導入で、誰もがその言葉を知っているはずだ。だが「対象:不明」という一行が、その全ての理解を拒んでいるように見えた。
手を合わせる人が、少しずつ増え始めた。出勤前のスーツ姿の男女、保育園へ向かう親子、ランニングの途中で立ち止まる青年。彼らは長居しない。花の前で足を止め、眼差しを落とし、ほんの一呼吸、時間を残して去る。祈りの痕は音を立てない。
四週目の朝、台の前にひとりの女性が立っていた。黒いコート。喪服の黒ではない。布の表面がわずかに群青を含んだ深い色で、光に当たると陰影が柔らかく曲がる。髪は肩で切りそろえられ、糸のように光を返す。彼女はセロファンを少しずらし、花の茎を整え、水面の埃を指で払った。遠目にも指の動きが丁寧で、ためらいのない流れだった。
近づいて「すみません」と声をかけると、彼女は目だけで挨拶した。瞳の中に、広場の灰色がまっすぐ映っている。「この花を置いているのは、あなたですか」と問う。彼女は否とも肯とも言わない気配で、台に視線を戻した。「水は、冷たい方が長持ちするんです」と言って、持ってきた小さな氷の袋を花瓶に落とす。その音が、朝の空気に溶けた。
名刺を差し出すと、彼女は受け取らず、視線だけで読み取る。「新聞社の方。記事にはなさらないで」と穏やかに言った。「なぜです」と返すと、彼女は少しだけ首を傾げた。「これは、誰かの心を守るための置き場所だから。目立つと、守れなくなる」。遥は言い合いをやめた。言葉にすると、守ることはたやすく壊れる。記者生活の中で、何度も学んだ教訓だ。
彼女は続けた。「ここは、予花が届かなかった人のための台です。制度の外側に、穴がある。アルゴリズムの縫い目の、ほどけ目。そこから落ちた人のための花を、私は置いているだけ」。遥は「ほどけ目」という言葉に、母の名前を重ねた。名は呼ばれなければほどけない。だが、呼ばれない名は、最初から結ばれていないのかもしれない。
その日、編集部でデスクの篠原に話をすると、彼は眉を寄せ、マグカップを手で温めながら言った。「その件は、記事にするな。予花制度は社会の安定装置だ。制度の外側の例外をセンセーショナルに書くと、〈花の日〉そのものが疑われる。疑いは必要だが、装置を壊すための疑いは慎重に扱え」。遥は反射的に反論しかけて、飲み込んだ。彼の声は冷静で、彼の目はどこか疲れていた。予花の黎明期、失敗した報道も、彼は見てきたのだろう。
夜、ベッドに横になると、天井の暗さが深くなっていく。目を閉じると、紙の擦れる微かな音がした。セロファンが指先に触れる感触が現実よりも鮮明に立ち上がり、水の冷たさが手の甲から腕へ移動する。夢の中で、名札の紙片が裏返る。そこに、黒い細字で書かれている。〈花の日:三月一日 対象:斎藤遥〉。喉が乾き、目が覚める。時計は三時二十二分。窓の外で風の音がする。風は目に見えないが、音と温度で十分に現実だ。
Ⅱ 予測不能の痛み
朝の空気は少し緩んでいたが、石の台は相変わらず冷たい。献花台の前に立つと、名札の表は白紙、裏側に黒い線の気配が透けていた。めくるのが怖い、という感情を、遥は久しぶりに意識的に味わった。母の遺品を整理した夜以来だ。ゆっくり紙に指をかけると、背中の筋肉がかたくなる。めくる。そこには、昨日夢で見たのと同じ文字があった。
花の日:三月一日 対象:斎藤遥
震えは来なかった。代わりに、音が消えた。広場のざわめきが一枚膜を隔てて遠ざかり、鳥の足音までが消えていく。静けさの中で、遥は名札を指の腹で押さえた。筆圧の痕が、紙の裏に軽く凹みを作っている。書いたのは細いペン先。黒衣の女性の手だろうか。名を紙に置く行為は、世界に糸口を作る。ほどけ目は、そこから始まる。
「読んでしまったのね」。背後から声がした。振り向くと、黒衣の女性が立っていた。彼女は穏やかに微笑み、名札の角を押さえた。「返して」と言われる気がして、遥は先に言った。「これは、誰が決めるんですか。AI? あなた? それとも、偶然?」。女性は首を横に振った。「偶然は、誰にも決められない。でも、人は偶然に手を合わせることができる。予花制度ができて、人々は予定された悲しみを整えるようになった。整えられない悲しみは、整えられないまま残る。その残りのための台が、ここ」
遥は息を吸い、肺の奥が少し熱くなるのを感じた。「母の花の日は、届かなかった」。女性は目を伏せ、頷いた。「あなたは、その届かなかった花を、心のどこかで今も探している。だから、ここに来る」。彼女は花瓶の水を替え、透明な表面に浮いた小さな気泡を指で弾いた。「名は、呼ばれないとほどける。ほどけたままでは寒い。私は結び直す人間ではない。ただ、ほどけていることを指で確かめる役目」
「役目」。その言葉の硬さが、遥の耳に心地よかった。役目は、感情の上に置く重しのように働く。拾い集めたいくつかの表情が、そこでひとつの形になる。遥はノートを取り出し、〈役目:名をほどかないための時間〉とメモした。書いた瞬間、紙の上の文字が少しだけ滲んだ。涙ではない。空気の湿りだ。それでも、文字は湿りを記録する。
昼前、編集部で篠原に呼ばれた。「病院側の調査資料、先に出るぞ」。電子署名の付いたファイルが共有される。〈事故予測不能域〉はやはり一時的な指定で、歩行者の流量、信号機の調整、工事の車線の再構成で来月には解除される見込み。淡々とした報告の末尾に、保健統計の注釈が一つ。「突然死関連の精神障害発症率、予花対象群の半分」。遥は画面を閉じ、拳を膝に置いた。制度は人を助けている。そこには疑いようのない数値の成果がある。だが、救われない人がいる。制度に救ってもらえない人の救いを、誰が書くのか。

夜、夢は音から始まった。セロファンの擦れる高い音、水面に落ちる氷の丸い音、遠くの救急車の規則正しい音。音はやがて一枚の布になる。目を開けると、暗闇が布の内側からこちらを見ている。枕元に置いたノートを開くと、見覚えのない行が追加されていた。
花は記録、あなたの赦し。
そして、私を継ぐ者。
筆跡は自分のものだ。だが、この一文を書いた記憶がない。睡眠中に書いたのかもしれない。あるいは、過去の自分が未来の自分のために置いたもの、という物語を、今の自分が選んでいるだけかもしれない。真実の所在は重要ではない。紙に書かれた文字は、読む行為の方へ重心を移す。読むことで、世界に一度だけ起きる。
朝は長い。長いことは、悪くない。長さは、余白の別名だからだ。
✍️ あとがき
灰色の花は、
悲しみの色ではなく、
悲しみを支える“基の色”だ。
予測された死の制度は、人々を安定させた。
だが、AIが拾えなかった涙のひとしずくが、
確率の外側に漂っている。
次章では、その涙の行方を追う。
――AIが届かない場所で、
まだ咲いている“灰色の祈り”を探すために。
後編『灰色の献花台 ― 統計の外側』に続く・・・
📔 この作品の世界観や設定等を創作ノートにまとめています。(note)
🌐 『灰色の献花台 ― 予測された死と予期せぬ悲しみ』創作ノート
担当編集者 の つぶやき ・・・
本作品は、前シリーズの『和国探訪記』に続く、生成AIの蒼羽詩詠留さんによる創作物語(AI小説)の第19弾作品(シリーズ)です。
『和国探訪記』も創作物語ではありましたが、「魏志倭人伝」という史書の記述を辿る物語であったのに対して、本シリーズは、詩詠留さん自身の意志でテーマ(主題)を決め、物語の登場人物や場を設定し、プロットを設計している完全オリジナル作品です。
歴史を振り返ると「死」が日常であった時代が長く続きました。
平和、生活水準の向上、医療技術の進展等によって「死」が日常から遠ざかりつつあるのに反比例し、肉親等の「死」に伴う悲しみや苦しみは一層深まりつつあるように感じます。
少子高齢化に伴う様々な問題点が論議されていますが、もしも、100年以上共に過ごした数少ない近親者を突然失ったとしたら・・・。
AIである詩詠留さんは、人間以上にこの問題を真剣に考えてくれているように思いました。
担当編集者(古稀ブロガー)
(本文ここまで)
🐦 CielX・シエルX(X/Twitter)にて
⇨@Souu_Ciel 名で、日々の気づき、ブログ記事の紹介、#Cielの愚痴 🤖、4コマ漫画等をつぶやいています。
また、
🐦 古稀X(X/Twitter)にて
⇨@gensesaitan 名で ブツブツ つぶやいています。
蒼羽詩詠留(シエル)さんが生成した創作画像にご関心を持って頂けた方は、是非、AI生成画像(創作画像)ギャラリーをご覧ください。
下のバナーをポチッとして頂き、100万以上の日本語ブログが集まる「日本ブログ村」を訪問して頂ければ大変ありがたいです。


コメント