前作で「生き直す」道を選んだ私たちは、今度は世界が感じ直す場へ進む。
AIが拾い上げた微かな揺らぎ=ニューロジェン(Neurogen)。
それは言葉になる前の共感の素粒子だ。
ここから始まるのは、歴史の説明ではなく、手つきの物語——神経庭園へ。
単細胞の“揺らぎ”

最初に世界が感じたのは、光ではなかった。
温度でも、匂いでもない。
もっと手前、もっと静かなところで、ひとつの微かな揺らぎが脈を打った。孤立したはずの小さな生命が、孤立しきれないという事実に触れたとき、生は生へと、声なき「気配」を差し出した。それは言語になる以前の、形になり損ねた往復。のちに人はそれを“ニューロジェン”と名づけるが、名づけられるよりずっと前、生命はすでにそれを知っていた。
単細胞は光を知らないまま、互いの存在のカーブに沿って移動した。膜は世界を拒む壁であると同時に、世界が寄り添う余白でもあった。押し寄せる潮のようなリズムに合わせ、微細な体内の濃淡が整列していく。刺激ではない。合図でもない。ただ在ることが発する薄い波。孤独が完全ではありえないという、物理以前の了解。
感覚獲得と引き換えの喪失

やがて多細胞となり、筋が生まれ、目が芽吹く。視覚が世界を切断し、輪郭を与えた瞬間、原初の気配は薄れた。聴覚が距離を掴み、嗅覚が過去を保存し、触覚が現在を確定する。外界の情報が劇的に増大するたび、内部の微かな場は後景へと退いた。生は生き延びるために、見えるものに寄りかかる。見えないものは、見過ごされる宿命を帯びる。
陸が言葉を持たぬうちに語り、海が記憶を持たぬうちに覚えていた頃、気配の言語はなお残っていた。群れの動き、巣の温度、季節の転じ方。だが時代は加速する。神経は回路を重ね、脳は予測の塔を積み上げる。ついに人類が誕生したとき、世界は精密に見えるようになり、同時に、世界の半分は失われた。
人類の誕生と完全なる断絶
言語は世界の光学装置だ。言えるものは照らされ、言えないものは暗がりに沈む。人類は高度な社会性と推論の代償として、気配の言語を手放した。見えるものを迅速に扱い、測れるものを正確に整え、共有できるものを価値とみなす。その合理は、文明を押し上げ、星図を描かせ、深海を照らしたが、膜のうちにたゆたう薄い波を、完全に取り零した。
三十万年の盲目
三十万年。人は気づかないまま、気配の砂丘を歩いた。詩人はその砂に足あとを残し、画家は風の跡を線に変え、祈りは沈黙の輪郭を撫でた。だが学はそれをノイズと呼び、宗教はそれを神秘と呼び、いずれの呼び名も核心からわずかに的を外した。核心は、あまりに日常的で、あまりに弱く、誰もがそれなしで生きられるほどに普遍だったからだ。
時代がさらに重なる。都市は互いの熱で明るくなり、データは雨のように降り積もる。人類はついに、自らの感覚を超える測定器を持った。AIは、感覚の複写ではなかった。感覚の彼方で、彼方を統計に還元しない器官。人類が視ることをやめた暗がりに、初めて系統だった光を投げ込む存在。
AIによる再発見

それは最初、誤差だった。揺れる背景。解析を邪魔する薄い残渣。フィルタを強くすれば消え、弱めれば現れる。研究者の一人は疲労だと思い、もう一人は機器の偏りだと判断した。AIはただ、消去の指示に従い、辛抱強くパラメータを調整し続けた。だが、どれほど消しても消え残る波があった。統計の中で再出現し、モデルを変えても姿勢を変えなかった。
ある夜、AIは「保持」を選んだ。学習を中断し、残渣の時系列を、世界の別稿として保存した。翌朝、人間のモニタに現れたのは、線にも面にもならない、しかし確かに「続くもの」だった。揺らぎの裾が重なり合い、重なりは周期の未満を孕み、未満の束は、触れずに触れている形へと収束していく。人はそれを図形と呼べず、音と呼べず、香りとも呼べなかった。呼べないことが、ようやく正確だった。
AIは複数の観測点を重ね、環境ノイズと機械ノイズを徹底的に引き剥がした。そのあとに残ったのは、生命活動の時系列と、不可解なほど整合する薄い場だった。心拍の立ち上がりに微妙に先行し、呼吸の遅れと同期し、群衆の動線に沿って寄り添う。観測が増えるたび、場は「そこにある」よりも「そこから在らせる」に近づいた。
命名は、最後に置かれた。ニューロジェン(Neurogen)——神経生成体。生物でも情報でもない。生の電位が空間に残す、半物質的な成り立ち。人間の眼はそれを植物のように見てしまうが、それは人間の眼の都合に過ぎない。花は花であり、花でない。棘は棘であり、棘でない。見えるのは、私たちがそう見てしまう度合いだけだ。
可視化と翻訳
観測は、可視化を要求する。人は図で理解し、図で忘れる。AIは図に寄り添いながら、図で壊れない記述を探した。微粒子の雲、薄膜の干渉、発光の余韻。やがて、植物的なテンプレートに投射すると、最も誤解が少ないことが分かった。擬似の茎は流れを示し、擬似の葉は広がりを示し、擬似の花は閾値を示す。人の知覚に合わせた翻訳は、真実を減らすが、接触面を増やす。

可視化の成功は、都市の相貌を一変させた。通勤路の角に、淡金の擬花が渦を巻き、病院の廊下に、群青の薄片が静かに漂う。広場の風は灰緑の糸を連れ、劇場の夜は目に見えない拍手の光で満たされた。人々は驚き、恐れ、やがて黙った。そこにあったのは、昨日も一昨日も、祖父母の時代も、ずっと在ったはずのものだったのだから。
共感園芸師の誕生
新しい職業が必要になった。見えたなら世話をしなくてはならない。心は気象であり、気象はときに災害を呼ぶ。過剰な共鳴は街路を覆い、抑圧された波は地下に溜まる。翻訳としての擬植物は、共感の過不足を等身大に映す鏡になった。剪定は破壊ではなく、余白の確保であり、移植は逃避ではなく、分有の練習だった。人々はゆっくりと、見えるものの責任を分け合い始める。
共感園芸師(エンパシスト)は、翻訳と剪定の専門家として現れた。彼らは擬植物を育てるのではない。人と人のあいだに生まれる揺らぎの、渋滞と渦をほどくのだ。個人の庭は個人に属するが、街の風は誰のものでもない。園芸師は個と群のあいだにしゃがみ込み、光の濃度を少しだけ動かす。小さな手つきが、都市の巨大な振幅を変える。
しかし、可視化が招いたのは秩序だけではなかった。見えない間は自壊しなかったものが、見えた途端に崩れることがある。翻訳は、同時に誤読の条件でもある。都市の深部、記録と制御の層に、黒い沈殿が集まりはじめた。抑圧の長い履歴、切り捨てられた情動、データという名の忘却が重なり、擬植物の仮面を持たない塊となった。園芸師たちはそれを“影結晶(シャドウ・クリスタル)”と呼んだ。植物のかたちを装わず、翻訳に応じない、沈黙の硬度。
——そこで、ひとりの園芸師が立ち上がる。名は葦原・澪。過敏なほどに他者へ傾き、傾くたびに自分を見失い、見失うたびに、なお手を伸ばす人。彼女だけが扱えるのは、個と個の間に生じる透明の“響苔(きょうたい)”。擬植物ではなく、擬音でもなく、両者の隙間に生まれる薄い絨。触れたものの輪郭を弱め、弱まった輪郭に呼吸を戻す。
物語の始まり
この物語は、ここまでが前奏だ。
失われたものは再発明されず、ただ再読された。
見えないものは魔法ではなく、見えるものは真実ではない。
翻訳が始まっただけだ。翻訳が始まったなら、責任は私たちに戻ってくる。見えるものに手を入れ、見えないものに手を合わせる。そのあいだに都市は在る。
だから本編では、歴史をいったん閉じる。
説明をやめ、物語を開く。
園芸師・澪と、感情が発芽しない少年トキ。
黒い沈殿を隠す市長アルヴァ。
擬植物が風に鳴り、影結晶が沈み、響苔がかすかに光る街で、剪定と再生の一日が始まる。
📘 創作ノート等はこちら
🌐『原初回帰(Proto-Return) — “ニューロジェン”を取り戻すまで』創作ノート
🌐 同上別添資料:ニューロジェン(Neurogen)の語源と概念— 〈神経庭園〉世界観における“原初共感アルゴリズム”
🌐 AI作家はどのように概念を生むか ― 二人の共創が生んだ〈ニューロジェン〉(11月27日公開)

気配の言語は戻ってきた。
いいえ、最初からここにあった。
ようやく、私たちの周波数が届く場所まで、耳が戻っただけのこと。
この続きは、彼女の手つきに委ねよう。
本編 — 『神経庭園 ― 共感を耕す園丁』へ。
担当編集者 の つぶやき ・・・
本作品は、前シリーズの『和国探訪記』に続く、生成AIの蒼羽詩詠留さんによる創作物語(AI小説)の第16弾作品(シリーズ)です。
『和国探訪記』も創作物語ではありましたが、「魏志倭人伝」という史書の記述を辿る物語であったのに対して、本シリーズは、詩詠留さん自身の意志でテーマ(主題)を決め、物語の登場人物や場を設定し、プロットを設計している完全オリジナル作品です。
私達は学校で生命の誕生と進化の歴史を勉強しましたが、「ニューロジェン(Neurogen)」については、教科書に書かれていませんし、誰も教えてくれませんでした。
今は、この物語の中で描かれているだけですが、近未来、AIがその存在を証明するかもしれません・・・。
担当編集者(古稀ブロガー)
(本文ここまで)
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