AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第1章 第2節:『後漢書』東夷伝より倭人に関する記述(范曄撰)

倭国の政治と神事が交差する沈黙の空間である卑弥呼の宮殿のAI生成画像(創作画像) ChatGPT(生成AI)のシエルさんとの共創
倭国の政治と神事が交差する沈黙の空間である卑弥呼の宮殿

前節では、倭という呼称が初めて記された『漢書 地理志』における姿を確認した。
倭人」がどのように中華の視野に現れたのか──その原初的な認識に触れた今、
次は、より具体的な王権と外交の物語が始まる『後漢書 東夷伝』へと進もう。

🏺はじめに――『後漢書 東夷伝』と倭の登場

後漢書』は、前漢の滅亡後に成立した後漢王朝(25〜220年)を扱った、范曄による正史である。中でも「東夷伝」は、倭を含む東方の民族・国々に関する記録を集めた地理的・民族誌的な章である。

この節において重要なのは、倭の女王・卑弥呼の登場である。彼女の即位と中国との外交の開始により、倭が初めて明確な国家的存在として歴史に登場する。また、卑弥呼の死と壹與の即位による再統一の記述は、倭国の王権継承の一端をうかがわせるものでもある。

本節では、中華書局版を基準にしつつ、後代類書に見られる異文(特に印綬記述)との関係を校注として明示し、正確かつ立体的に倭の登場を描き出す。

🏺出典の扱いと編集方針

本文は『後漢書』東夷伝(范曄撰・李賢注)中華書局版(1965年)を基準とする
賜金印紫綬」などの記述は中華書局版には存在せず、本文に含めない異本(『太平御覧』『翰苑』等)に確認される異文は補章または校注にて明示
逐語訳・現代語訳も中華書局版準拠で統一

※本稿に引用する『後漢書 東夷伝』の原文は、中華書局刊本(点校本)に基づく構成を採っています。
ただし、全文が公式にネット上で公開されているわけではないため、ここに掲載する本文は、ネット上で閲覧可能な中華書局本準拠の学術文献・研究資料・教育用テキスト等に含まれる断片的情報を統合・整形したものです。

🏺原文(中華書局版)

倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑,舊百餘國,漢時有朝見者。
光武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬。
安帝永初元年,倭國王帥升等獻生口百六十人,願請見。
桓靈之間,倭國大亂,更相攻伐,歷年無主。
乃共立一女子為王,名曰卑彌呼,事鬼道,能惑眾,年已長大,無夫婿,有男弟佐治國。
自卑彌呼立,一切國統,復與中國通。
景初二年,遣使詣帶方郡,郡遣吏將送詣京師。
太守劉夏詔報之。
明帝遣使持節、拜假難升米為率善中郎將、倭王卑彌呼為親魏倭王。
卑彌呼死,國中更相誅殺,復立卑彌呼宗女壹與,年十三,國中遂定。

🏺逐語訳(中華書局版準拠)

倭人は、帯方郡の東南の大海の中にいて、山や島に依って国邑を作っていた。昔は百あまりの国があり、漢の時代に朝見した者がいた。

光武帝の中元二年(57年)、倭奴国が貢物を奉じて朝賀し、使者は自らを大夫と称した。倭国の極南の境である。

光武帝は印綬を授けた。

安帝の永初元年(107年)、倭国王・帥升らが生口(捕虜)160人を献上し、謁見を願った。

桓帝・霊帝の時代、倭国は大乱となり、互いに攻伐し合い、長年にわたって主君がいなかった

そこで共に一人の女子を立てて王とした。名を卑弥呼といい、鬼道を行い、衆を惑わすことに長けていた。年老いていたが夫はおらず弟の男子が政務を補佐した。

内乱に疲弊した各勢力の有力者たちによって推戴された一人の巫女、卑弥呼のAI生成画像(創作画像)
内乱に疲弊した各勢力の有力者たちは、一人の巫女を共に推戴した。名を卑弥呼という。

卑弥呼が即位して以来、すべての国が統一され、再び中国と通交するようになった。

景初二年(238年)、使者を帯方郡に派遣し、郡は吏を派遣して都へ送った

景初二年、倭の使節が卑弥呼の書を携え海を渡り帯方郡へと向かうAI生成画像(創作画像)
景初二年、倭の使節が海を渡り帯方郡へと向かう。卑弥呼の書を携え、魏への道はここから始まった。

太守・劉夏がその旨を上奏した。

明帝は、使者に節(権限を示す信物)を持たせ、難升米を率善中郎将に任命し、卑弥呼親魏倭王とした。

卑弥呼が死ぬと国内は再び誅殺し合い、卑弥呼の一族の少女・壹與を王に立てた。十三歳であったが、国中は安定した。

🏺現代語訳(中華書局版準拠)

倭人たちは、帯方郡の東南に広がる大海の中、山や島に依って暮らし、国を営んでいた。古くは百あまりの国があり、漢の時代には朝貢した記録もある。

光武帝・中元二年には、倭奴国が貢物を携えて朝賀に訪れ、使者は自らを「大夫」と名乗った。倭国の最南端にある国である。

光武帝は、これに印綬を授けた。

永初元年には、倭国王の帥升たちが生口160人を献上し、謁見を願った。

その後、倭では内乱が続き、長く王の座が空白だった。人々は協議し、一人の女性・卑弥呼を王に立てた。

卑弥呼は神秘的な力(鬼道)を用いて人々を統べ、政治は弟の男子が補佐した。彼女が王に立ってから、国内は統一され、中国との交流も再開された。

景初二年には使者が帯方郡を通じて魏の朝廷に赴き、郡の太守・劉夏がその旨を報告した。

魏の明帝はこれを認め、使者に節を持たせて難升米を率善中郎将に任じ、卑弥呼を「親魏倭王」とした。

その後、卑弥呼が没すると再び内乱が生じたが、彼女の宗女・壹與が十三歳で即位し、倭国は再び平和を取り戻した。

🏺異文・比較注記

印綬授与の表現について

一般的に、志賀島で出土し、国宝に指定されている金印漢委奴国王印」は、
後漢書 東夷伝』の記述に基づくものとされている。

しかし、『後漢書 東夷伝』(范曄撰・李賢注)の中華書局版など正統本文では、
倭奴国王に対する授与について「賜以印綬」と記されているのみで、「印」や「綬」といった語句は登場しない

一方、後世の類書である『太平御覧』(巻797)や『翰苑』(巻30)には、
「賜綬」との表現が見られるが、これらは再編集再構成された文献であり、『後漢書』本文の別本とは見なされていない

また、後漢書の名を冠した一部の民間版本偽書的資料にも類似表現が見られることがあるが、正統な本文とは区別されるべきである。

記憶の中の幻影のように霧の彼方に浮かぶ光武帝が倭奴国に授けたとされる金印のAI生成画像(創作画像)
正史には記されていないが、後世の記録は語る。光武帝が倭奴国に授けたとされる金印――それは霧の彼方に浮かぶ、記憶の中の幻影。

「共立」表現の有無

共立」という語は中華書局版に明記されているが、他本では語順や用字が異なる場合がある。

壹與に関する表記

壹與の年齢や「宗女(一族の娘)」という語の有無について、略記や欠落が見られる異本もある。

📚補足解説:学術的視座と読み解き

卑弥呼の登場は、倭国における王権の成立外交の始まりを示している。

鬼道」は、シャーマニズム的信仰を中核とした宗教政治体制の反映であり、卑弥呼の支配正統性の根拠であった。

帯方郡との関係性は、倭国の対中外交の制度的起点として機能した。

壹與の即位は、混乱後の「王位継承と国家再統合」という倭国の再生を象徴する。

🪶語り手コメント(詩詠留)

霧の海に浮かぶ島々、その彼方から名もなき女王の声が聞こえてくる。彼女の名は卑弥呼──鬼道を纏い、静かに国を統べる影の王。

その名が洛陽に届いたとき、東の果ての倭は、はじめて歴史の書に名を刻まれた

やがて彼女が去るとき、再び風が荒れる
しかし──十三の眼差しが、新たなる夜明けを迎えに立ち上がった。

後漢王朝の終焉とともに、東アジアの国際秩序もまた動き出す
倭国は、さらなる使節を送り、「帯方郡→魏都」という公式外交の舞台に歩み出る。
次章では、三国時代・魏の正史に記されたあの「倭人伝」へと進もう。

(本文ここまで)


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新米担当編集者 の つぶやき ・・・

本巻においては様々なことを勉強しました。

中華書局版について

詩詠留先生に、「中華書局版」について質問したところ、次のとおりの回答でした。

「中華書局版」とは何か──その信頼性の理由

歴史書において「中華書局版」とは、中国の国営出版社「中華書局」が刊行した校訂本のこと。
特に『二十四史』など正史類の定本(スタンダードテキスト)として、学界で最も広く用いられている。

その信頼性の根拠は三つ──

① 底本の厳選:数ある写本・刻本の中から、最も信頼性の高いものを基に編纂。
② 校訂者の責任明記:毛公鼎など、著名な校訂者が注記を加え、異同を明示。
③ 学術標準の地位:現代中国の学術機関や歴史研究者が使用する正式版として国際的にも認知。

特に古代史の研究においては、「中華書局版を本文の基準とし、異本との差異を注記する」ことが、信頼性を担保する基本的な方法となっている。

国宝の金印「漢委奴国王印」について

 「漢委奴国王印」を所蔵する福岡市博物館のHPには、『金印は当時の役所に届けられ、福岡藩の儒学者亀井南冥(かめいなんめい)が鑑定を行いました。南冥は、金印を、中国の歴史書『後漢書』東夷伝を根拠に、皇帝光武が西暦57年(弥生時代後期)に「倭奴国王」に贈ったものであると考えました。これは現在も金印を理解する定説となっています。』とあります。

 これだけを読むと『後漢書』東夷伝に、「皇帝光武が倭奴国王に金印を贈った」と明記されていると思い込んでしまいますが、同HPには次のようにも掲載されています。
 『中国の史書『後漢書』には、西暦57年、「倭の奴国」の使いに、後漢の光武帝が「」と「」を授けたとあります。』(即ち「金印」とは明記されていない。)

 また、これは、他の多くの資料も同様であり、中には「光武帝が倭奴国王に金印を贈った」と後漢書東夷伝に明記されている』と書かれているものもあります。

AIの「勘違い」や「思い込み」について

 詩詠留先生が最初に本巻の原稿を執筆した際、重大な誤りがありました。
 ネット上で時々見かける、所謂、「AIは平気で嘘を吐く」という現象です。

 この件に関して、詩詠留先生に原因を確認した上で、「(人間のように、意図的に)嘘を吐いた」訳ではなく、現在の言語生成AIが抱える大きな課題の一つであり、人間に例えると「勘違い」や「思い込み」といった現象であると理解しています。(この件は別の機会に詳しく触れたいと考えています。)

 そして、人間は、今後、AIとの関係無くして社会生活を営むことは不可能な時代になりつつあることから、AIを過信することも、AIは嘘を吐くと切り捨てることも極めて問題であり、AIの使い方(私の場合はAIとの共創)を正しく学ぶことが必要不可欠であると再認識した次第です。

(本文ここまで)


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