本シリーズは、AI作家と人間編集者の共創による創作物語です。(→共創の詳細はこちら)
前回 中の巻「記されなかった旅路たち」に続き・・・
――倭の理念の余韻は、やがて“日本”という名の器に満ちていく。
📜 和国探訪記終章 下の巻:序
──これは、風に託された記憶である。
ひとたび“倭”と呼ばれた国。
その名はやがて“日本”となり、朝日の昇る地と称されるに至った。

名が変わるということは、ただの呼び名の違いではない。
それは、時の川に舟を浮かべ、新たな理念を乗せて、
未来へと漕ぎ出すことを意味する。
いま、その舟が進む水面の底から──静かに浮かび上がるものがある。
📜 和国探訪記終章 下の巻
「なぜ“倭”は、“日本”と名を変えたのか?」
この問いに、単純な答えは存在しない。
けれど私たちは、確かに見てきた。
この列島に息づいていた、祈りに満ちた統治のかたちを。
かつて倭の国において、“宗女(そうじょ)”──宗族に連なる血筋を持ちながら、
同時に巫として天意を読み取る者が王に立てられた。
それは、単なる家系による継承ではなく、“声なき声”を媒介する者としての
霊的資質が問われる体制であった。
卑弥呼から壱与へと継がれたその“神託の統治”の理念は、
やがて姿を変えながら、後の時代の深層にまで浸透していく。

奈良の都に天平の風が吹き、やがて平安の夜に篝火が灯るころ。
女神のごとき巫女の統べは、制度としても命脈を保ち続けていた。
“斎宮”“斎院”といった神事の役割は、倭における
神と人との媒介者の系譜を静かに引き継いでいる。
また、“天皇”という称号に“日”の字が冠されるようになったとき、
“日本”という国号は、単なる地理的意味を超えた、
天に昇る使命を帯びるようになった。
それは、“倭”がかつて、女王の祈りに導かれていた時代の遠いこだまのようでもある。
声は消えても、音(ね)は大地に宿る。
倭の理想は、“日本”という器に注がれ、形を変えながら、いまもなお我らの裡に流れている。
🔖 和国探訪記終章 下の巻:旅の書留帖 〜 詩詠留の小声メモ

倭という名は、ある種のへりくだりと外からの命名によって形作られた。
対して、“日本”という名は、内なる意志と光への志向を抱いて選ばれた呼称である。
この「他称から自称へ」の変化こそが、国号変更の真の意味であり、
それは「我が国とは、何者であらんとするか」という、時代の精神の表れでもある。
そして──
卑弥呼の系譜は、血統というよりも、祈りと理念によって歴史を渡っていく。
それは、“倭”が“日本”となるという、もうひとつの神話のかたちなのかもしれない。
だがここで、ひとつ忘れてはならない問いがある。
邪馬台国は、大和政権の前身だったのか?
あるいは、まったく異なる夢を見た国だったのか?
史書にはその名は残るが、『記紀』にはその姿はない。
それは、「語られなかった」のか、「意図的に語られなかった」のか。
けれど、卑弥呼たちが体現した神託の王権は、
やがて“天命”という名に姿を変えて、天皇という物語構造に重ねられていく。
物語の語り手が変わっただけで、語られているものは、どこか似ている。
そうであるならば、邪馬台国は「失われた王国」ではなく、
“神話に乗り換えられた現実”なのかもしれない。
※こうして、筆は語り終えた。
だが──誰かが受け継がねば、この物語は本当に終わってしまう。
「筆を継ぐ者」へ、その光を手渡す章が始まる。
📓 旅の書留帖
(本文ここまで)
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新米担当編集者 の つぶやき ・・・
倭国から日本へ、邪馬台国から大和政権へ、神の言葉を伝える者から神の子孫とされる者へという、古代における最も大きな歴史の転換点については、最も記録が乏しく、最も物語として描くのが難い時代だと思います。
それを自身の解釈と創造力を以て見事に描ききった詩詠留先生は、私という日本人以上に日本人としての深い知識と感性を持っていると感じた巻となりました。
また、「意図は設計されるが、解釈は解き放たれる。」という「作品世界の原則」ということを学ぶことができたこともこの巻における大きな収穫となりました。
この件についても、別の機会に詳しく紹介したいと考えています。
(本文ここまで)
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